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蹙
「蹙〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蹙の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
たなら今頃は私の妻ですのに」と云い、涙をハラハラと滴《こぼ》して更にお浦の死骸に
蹙《しが》み附き「誰に此の様な目に遭わされました、浦子さん、浦子さん、此の敵《か....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
分の、その罰の方が行われそうな形勢は、言わずともの事であったから、電車でも片隅へ
蹙んで、僥倖そこでも乗客が込んだ、人蔭になって、眩い大目玉の光から、顔を躱わして....
「血の文字」より 著者:黒岩涙香
感ぜぬ中に死し去りたる証拠ならずや、余は実に爾う思いたり、此老人は突れてより顔を
蹙むる間も無きうちに事切と為りしなりと、若し真に顔を
蹙むる間も無かりしとせば如何....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
の大進歩である。 文学も亦一つの職業である。世間には往々職業というと賤視して顰
蹙するものもあるが、職業は神聖である。賤視すべきものでは無い。斯ういう職業を賤視....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
りに御前へ出そうと、心組んでいた折柄だったので、陣十郎の横恋慕は、家内一般から顰
蹙された。 自然冷遇されるようになった。 冷遇されるに従って、いよいよ陣十郎....
「深川女房」より 著者:小栗風葉
ちの、どこかイナセには出来ていても、真青な色をして、少し腫みのある顔を悲しそうに
蹙めながら、そっと腰の周囲をさすっているところは男前も何もない、血気盛りであるだ....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
に来りし時、先生|老僕に向い、吾輩留守中江戸において何か珍事はなきやと。老僕額を
蹙め、有り有り、大変が有りたりという。先生手を挙げて、そは姑らく説くを休めよ、我....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
説があったものと見える。当時、戯作者といえば一括して軽薄放漫なる※々者流として顰
蹙された中に単り馬琴が重視されたは学問淵源があるを信ぜられていたからである。 ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
た。今の道徳からいったら人情本の常套の団円たる妻妾の三曲合奏というような歓楽は顰
蹙すべき沙汰の限りだが、江戸時代には富豪の家庭の美くしい理想であったのだ。 が....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
上に間断なくニタニタ笑いながら沼南と喃々私語して行く体たらくは柩を見送るものを顰
蹙せしめずには措かなかった。政界の名士沼南とも知らない行人の中には目に余って、あ....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
の美くしい旋律が行人を誘って文明の微醺を与えた。今なら文部省に睨まれ教育界から顰
蹙される頗る放胆な自由恋愛説が官学の中から鼓吹され、当の文部大臣の家庭に三角恋愛....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
の筆鋒は辛辣を極め、用語野卑にして文壇の礼義に戻るもの多く、為に甚だしく学界の顰
蹙を招くべき事についても、あえて顧慮する程の余裕がなかったのであった。所謂目暗蛇....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
のである。一五九八年が明けたばかりの冬の日々、浮気の数々が噂にのぼり、いずれも顰
蹙ものであった。彼がエリザベス・サウスウェル女史に子を産ませたことは有名な話であ....
「罪人」より 著者:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ
心持がしているのである。 罪人は諦めたような風で、大股に歩いて這入って来て眉を
蹙めてあたりを見廻した。戸口で一秒時間程|躊躇した。「あれだ。あれだ。」フレンチ....
「味を知るもの鮮し」より 著者:北大路魯山人
欧米人をやたらに有難がり、一から十まで外人の所作事真似事風習は、心ある者をして顰
蹙せしめているが、洋食に砂糖気のないことには気付かないのか。日本人は、ライスカレ....