身延山[語句情報] » 身延山

「身延山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

身延山の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
峯|権現に祈願を籠めた。八王子を経て、甲斐国に入って、郡内、甲府を二日に廻って、身延山へ参詣した。信濃国では、上諏訪から和田峠を越えて、上田の善光寺に参った。越....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
た様だけは本道をお帰りなさいと先生もあれほどおっしゃるのに、山道は大好きだとか、身延山へぜひ御参詣をしたいとかおっしゃって、わざわざこんなところへおいでなさる。....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
は、合掌に胸を緊めて、真蒼になって、日盛の蚯蚓でのびた。叔父の鉄枴ヶ峰ではない。身延山の石段の真中で目を瞑ろうとしたのである。 上へも、下へも、身動きが出来な....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
だと申したがその通りか」 「左様でございます。お祖師様を信心致しますから、それで身延山へ参りてえと思って出かけて参りましたんで」 「身延の道者《どうじゃ》ならば....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
――そのうちでも日蓮宗は華《はな》やかだった。小伝馬上町《こでんまかみちょう》に身延山《みのぶさん》の出張寺はあったが、本所の法恩寺へお開帳はもっていった。その....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
の溝《みぞ》を埋めて、その側の表に面した方へ、新高野山大安楽寺《こうぼうさま》と身延山久遠寺《にちれんさま》と、村雲別院《むらくもさま》と、円光大師寺《えんこう....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
邪宗とまじわり、弘教せんより、しばらく山林にのがれるにはしかないと、ついに甲斐国身延山に去ったのである。 これは日蓮の生涯を高く、美しくする行持であった。実に....
人生における離合について」より 著者:倉田百三
あったが、日蓮が法華経に起ったとき、怒って破門した。後に道善房が死んだとき日蓮は身延山にいたが、深く悲しみ、弟子日向をつかわして厚く菩提を葬わしめた。小湊の誕生....
剣侠」より 著者:国枝史郎
「賭場をひらくとは怪しからんではないか」 「などと仰せられても福島の賭場、甲州|身延山御会式賭場と一緒に、日本における二大賭場と申し天下御免なのでございますよ」....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
墨の工合がよいといわれます。これに優れた形を与えるのが工人たちの務めであります。身延山の霊場、御岳の風光、富士の五湖、それに勝沼の葡萄、甲斐の国といえば誰もこれ....