軍医[語句情報] »
軍医
「軍医〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
軍医の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「首が落ちた話」より 著者:芥川竜之介
《い》い人間で、捕虜の中にも、あんな柔順なやつは珍らしいくらいだったのだ。だから
軍医官でも何でも、妙にあいつが可愛いかったと見えて、特別によく療治をしてやったら....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
汁とこいつだけは、命がけでも留められねえんだから、あの人のお酌でも頂き兼ねねえ。
軍医の奥さんにお手のもので、毒薬装られちゃ大変だ。だが、何だ、旦那も知らねえ顔で....
「恐しき通夜」より 著者:海野十三
、ソッと顔が出た。 色の浅ぐろい、苦味の走ったキリリとした顔の持ち主――大蘆原
軍医だった。 室内の先客である川波大尉と星宮理学士との二人が、同時にハアーッと....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
が乗艦四十五日、そして知り合いになったわけだが、サボ島沖の海戦にて重傷、帰朝して
軍医学校に入院、それからなおって又出陣。それから終戦となり、幸いに一命は全うした....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
みなぼんやりして、上があいているのか下があいているのかよく分らなかった。 若い
軍医は首をかしげて奥の方の室へはいって行った。そして、僕が子供の時から何かの病気....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
敷につつんで抱えていた。 わたしの車の前を一台の車が走って行く。それには陸軍の
軍医が乗っていた。今日の人はあまり気の付かないことであるが、人力車の多い時代には....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
疑うの余地がなかった。 「熱は八度七分ぐらいある。」と、T君はさらに説明した。「
軍医部が近いところにあれば、その容体をいって薬を貰って来てやるのだが、今はどうす....
「浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
たぞ」 長谷部少佐は、救われた人の骨ばった顔を見るや、われを忘れて駈けよった。
軍医が、前に出てきて、心臓に耳をあてた。 「どうだ、助けてやれないか」 「ああ指....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
った。卒業したら国へ帰って、父のように誤診された病人の苦しみを救い、戦争の時には
軍医となり、一方には国人の維新に対する信仰を促進すべく準備した。微生物の教授法は....
「街の探偵」より 著者:海野十三
かえった男の後について、急造の病室について入った。そこには瓦斯中毒の研究で有名な
軍医のN大尉が、白い診察服の腕をまくって病人を迎えた。
軍医はすぐさま、寝台の....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
敷につつんで抱えていた。 わたしの車の前を一台の車が走って行く。それには陸軍の
軍医が乗っていた。今日の人はあまり気の附かないことであるが、人力車の多い時代には....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
というは一人の名でなくて、赤門の若い才人の盟社たる新声社の羅馬字|綴りの冠字で、
軍医|森林太郎が頭目であると知られた。 鴎外は早熟であった。当時の文壇の唯一舞....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
度は少し余裕があったため、ドイツから持ち帰った資料を勉強し、更にドイツにいた原田
軍医少将(当時少佐)、オーストリア駐在武官の山下中将をもわずらわして不足の資料を....
「色盲検査表の話」より 著者:石原忍
なっていました。 その後五、六年を経過して大正四年となりました。その頃私は陸軍
軍医学校に勤務いたしておったのですが、幸いにも陸軍省から徴兵検査用の色盲検査表を....
「茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
あろう。それから、七月十二日のは、絵葉書で、宛て名は、中支派遣軍園部部隊大杉部隊
軍医少尉 平尾健一で、文句は「拝啓御勇健御奮戦大謝無限です。青山君との御写真飛び....