軍奉行[語句情報] »
軍奉行
「軍奉行〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
軍奉行の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「島原の乱」より 著者:菊池寛
原城は準備整って居たのである。 城の総大将は勿論天草四郎時貞であるが、その下に
軍奉行として、元有馬家中の蘆塚忠兵衛年五十六歳、松島半之丞年四十、松倉家中医師|....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
戦の日に用いたという金扇の馬印はまた高くかかげられた。江戸在府の譜代の諸大名、陸
軍奉行、歩兵奉行、騎兵頭、剣術と鎗術と砲術との諸師範役、大目付、勘定奉行、軍艦奉....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
によって留学なされた榎本どのと同日に論ぜられるか、フランス仕込みの新知識じゃ、海
軍奉行榎本どのと比較するとは、身びいきにも程があろう、無くてかなわぬご仁があれば....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
たということである。巌石の城を攻落した時に、上坂左文、横山喜内、本多三弥の三人が
軍奉行《いくさぶぎょう》でありながら令を犯して進んで戦ったので厳しく之を咎《とが....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
介は一流の人傑で、幕府においての主戦論者の第一人でありました。勘定奉行にして陸海
軍奉行を兼ね、勝も大久保も皆その配下に働いたものであります。この火薬の製造所とて....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
る野心かもしれぬ」
「いいや、斉彬は、そういう人物ではない」
「そりゃちがう。海
軍奉行、勝麟太郎を、京都へやったのは、公武合体のためでなく、開国説を公卿間に吹き....
「時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
なわち剛胆者の称だ。徳川時代には海賊はすなわち海軍であった。海賊奉行はすなわち海
軍奉行だ。今の東京日本橋区第一銀行の際の橋をもとは海賊橋と云った。そこに海賊方向....
「三国志」より 著者:吉川英治
が征けば、成功疑いなしと思った。張魯はここに意を決して、一軍を彼にさずけ、楊柏を
軍奉行として、ついに援蜀政策を実行に移した。 日は没しても戦雲赤く、日は出でて....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
た関東勢の占領下だった。 そして、上赤坂のあとには、総大将の阿曾弾正少弼。――
軍奉行、長崎悪四郎|高真の陣所などが、せい然と見える。 また猫背山には田村|中....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
――四方ノ坂ヨリ転ビ落チ、落チ重ナツテ死スル者、一日ガウチ五、六千人ニモ及ベリ
軍奉行、長崎四郎左衛門ノ尉、実検シケルニ、執筆十二人ニテ、昼夜三日ノ間モ、筆ヲ措....