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軍旅
「軍旅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
軍旅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
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「川中島合戦」より 著者:菊池寛
るべきなり云々」とあるから、謙信が覚悟のほども察すべきである。 時正に秋も半、
軍旅の好期である。飯山に出でた謙信は、善光寺にも止らず、大胆不敵にも敵の堅城たる....
「運命」より 著者:幸田露伴
に抗す、其罪|本より誅戮に当る。然るに是の如きの令を出征の将士に下す。これ適以て
軍旅の鋭を殺ぎ、貔貅の胆を小にするに過ぎざるのみ、智なりという可からず。燕王と戦....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
三日路の旅人の通行を禁止するほどの警戒ぶりだ。 九つ半時に、姫君を乗せたお輿は
軍旅のごときいでたちの面々に前後を護られながら、雨中の街道を通った。いかめしい鉄....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
十六、七歳ばかりのうらわかさである。御通行の際は、白地の錦の装束に烏帽子の姿で、
軍旅のいでたちをした面々に前後を護られながら、父岩倉公の名代を辱かしめまいとする....
「李陵」より 著者:中島敦
う匈奴の右賢王《うけんおう》を天山に撃とうというのである。武帝は李陵に命じてこの
軍旅の輜重《しちょう》のことに当たらせようとした。未央宮《びおうきゅう》の武台殿....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
入りの譚は、早鍋世に極めて罕《まれ》に、また中古の欧州諸邦と等しく、わが邦でも、
軍旅に婦女を伴れ行く風が存した時代に出来たと知らる。今も所により、米升《こめのま....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
飾として腰間に佩《お》びた無下《むげ》の蛮民を、猴様の獣と誤ったのだ。近時とても
軍旅、労働、斎忌等の節一定期間男女別れて群居する民少なからず、古ギリシアやマレー....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
らなかった地方には、存していたろうと思われるのは、女子の従軍である。昔から学者は
軍旅の慰めに、家妻を伴うたものと解している。もっとも、この法令の出たころは、女と....
「三国志」より 著者:吉川英治
師を援けにきたので、その旧師の頼みを、すげなく拒む気にはなれなかった。 即刻、
軍旅の支度をした。 手勢五百に、盧植からつけてくれた千余の兵を加え、総勢千五百....
「三国志」より 著者:吉川英治
では、 「者ども、警備を怠るな」と、張飛は張切って、日夜、望楼に立ち、家兄玄徳の
軍旅の苦労をしのんで、自分も軍衣を解いて牀に長々と寝るということもなかった。 「....
「三国志」より 著者:吉川英治
わかなご下向でござるか」 と、いぶかりながらも、その夜は、城中に盛宴をひらき、
軍旅のつかれを慰めたいといった。 宴へ臨む前に、玄徳は車冑と、べつの一閣に会っ....
「三国志」より 著者:吉川英治
とを、疾くに洞察していたからである。 こういう先見の明もありながら、ここ易州の
軍旅のうちに病死した郭嘉は、年まだ三十八歳であった。 さて曹操は、遼東の使者を....
「三国志」より 著者:吉川英治
たずさえて、襄陽の使いは南進中の曹操の軍へ、急遽派遣されたのであった。 百万の
軍旅は、いま河南の宛城(南陽)まで来て、近県の糧米や軍需品を徴発し、いよいよ進撃....
「三国志」より 著者:吉川英治
歩|蹌踉と、宴の中ほどへ進み出で、 「せっかくの台臨を仰ぎながら、われわれ長途の
軍旅にて、今日のもてなしに、恨むらくは音楽の饗応を欠いておる。依ってそれがし、剣....
「三国志」より 著者:吉川英治
高沛は手を打って、 「楊懐、絶好な時が来たぞ。明日、玄徳がここを通過したら、
軍旅の労をねぎらわんと、酒宴を設けてその場で刺し殺してしまおう。――蜀の憂患を除....