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「軍艦奉行〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

軍艦奉行の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
名、陸軍奉行、歩兵奉行、騎兵頭、剣術と鎗術と砲術との諸師範役、大目付、勘定奉行、軍艦奉行なぞは供奉の列の中にあった。その盛んな軍装をみたものは幕府の威信がまだ全....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
があるというのは、安政六年に、幕府の咸臨丸《かんりんまる》が、僅か百馬力の船で、軍艦奉行木村摂津守を頭に、勝麟太郎《かつりんたろう》を指揮として、日本開けて以来....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
して、測量機械を携え、日の丸の旗を押立てたところを見ると、どうしてもこれは幕府の軍艦奉行の手であるらしい。 この一行は、しかるべき組頭《くみがしら》に支配され....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
所教授方頭取。それから咸臨丸の船長として米国へ航海した事もあった。作事奉行格並に軍艦奉行。もうこの頃は麟太郎は四十を幾年か越していた。そうして彼の名声は既に日本....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
初名|義邦、通称は麟太郎、後|安芳、号は海舟、幕末|従五|位下安房守となり、軍艦奉行、陸軍総裁を経、さらに軍事取扱として、幕府陸海軍の実権を、文字通り一手に....
瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
たるは、実に予の望外なり。 木村芥舟先生は旧幕府旗下の士にして摂津守と称し時の軍艦奉行たり。すなわち我|開国の後、徳川政府にて新に編製したる海軍の長官なり。 ....
福沢諭吉」より 著者:高山毅
しをぜひつれていってください。」 と、諭吉はつてをもとめて、はじめてあった幕府の軍艦奉行木村摂津守喜毅に、しんけんにたのみこんでいました。それは、安政六(一八五....