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軍議
「軍議〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
軍議の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
千) 『真書太閣記』に依ると、浅井朝倉|方戦前の
軍議の模様は、左の通りだ。 七日の夜|深けて長政朝倉孫三郎景健に面会なし、合戦....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
た。ある日、元就、老臣共を集め座頭の聞くか聞かないか分らぬ位の所で、わざと小声で
軍議を廻らし、「厳島の城を攻められては味方の難儀であるが、敵方の岩国の域主、弘中....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
している。その兵を用うる正に「疾きこと風の如し」である。 そして、上田に於て、
軍議をこらして、川中島に兵を進めるや、これまた謙信に劣らざる大胆さで、謙信の陣所....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
返した。勝頼、今は戦うまでである、御旗、無楯に誓って戦法を変えじ、と云ったので、
軍議は決定して仕舞った。旗とは義光以来相伝の白旗、無楯とは同じく源家重代の鎧八領....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
行を初め諸将退却の止むを得ざるを知りながら、口先では強がりを云っていたのである。
軍議区々であったが、隆景は病と称して評議の席に出でず、いよいよ糧尽くる頃を見計い....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
を挙げた者だ。御相談の役には立つ筈」と云い棄てて起って仕舞った。 ここに於て、
軍議は二十五日総攻撃と定ったのである。当時城内の武備の有様を見るに石火矢八十挺、....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
街道との交叉の要地である。 四月|晦日、大野治房等は樫井の敗戦から還り、大阪で
軍議をした。後藤基次先ず国分の狭隘を扼し大和路より来る東軍を要撃することを提議し....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
の諸城を固めて持久戦をする事を主張した。此は元来北条氏の伝統的作戦であって、遂に
軍議は籠城説に決定した。 そこで直ちに箱根方面の防備は固められた。先ず要鎮の一....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
ある夜、信玄は十数人の家来と、中|曲輪の密房で、一枚の地図を中にしてひそかに
軍議に更けっていた。 第一の寵臣高坂弾正、兵法知りの山本道鬼、勇武絶倫の馬場、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
祈願のため、神武帝御山陵ならびに春日社へ御参拝のためで、しばらく御逗留、御親征の
軍議もあらせられた上で、さらに伊勢神宮へ行幸のことに承った。この大和行幸の洛中へ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
く役目は薩州、長州、土州、因州の兵がうけたまわる。それらの藩から二名ずつを出して
軍議にも立ち合うはずである。景蔵はその辺の事情を友人の蜂谷香蔵にも、青山半蔵にも....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
え町野左近という者が附人として信長居城の岐阜へ置かれた。或時稲葉一鉄が来て信長と
軍議に及んだ。一鉄は美濃三人衆の第一で、信長が浅井朝倉を取って押えるに付けては大....
「第二菎蒻本」より 著者:泉鏡花
を開いて切って出づべき矢種はないので、逸雄の面々|歯噛をしながら、ひたすら籠城の
軍議一決。 そのつもりで、――千破矢の雨滴という用意は無い――水の手の燗徳利も....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
光秀に攻めほろぼされた時に、秀吉は備中高松から引っ返して来て、まずこの姫山の城で
軍議を開いて、亡君の弔いいくさのためにすぐに都へ討ってのぼった。彼は山崎の一戦に....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
抜け出し、少数の先導兵とともに、ウマを馳せて敵地をよぎり、ルウアン市包囲について
軍議すべく、フランス王に逢いにいったが、その帰途はカトリック軍のために危うく遮断....