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転宅
「転宅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
転宅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
思い出草 私は麹町元園町一丁目に約三十年も住んでいる。その間に二、三度
転宅したが、それは単に番地の変更にとどまって、とにかくに元園町という土地を離れた....
「化銀杏」より 著者:泉鏡花
、おばあさんには大変気の毒がってね、(お年寄がようよう落着なされたものを、またお
転宅は大抵じゃアあるまいから、その内可い処があったら、御都合次第お引越しなさるが....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
てくれ。面会などもこの寒さを冒してわざわざ三日目ごとに来るにも及ばない。 もう
転宅はしたか。あんなところではいろいろ不自由なこともいやなこともあろうけれど、ま....
「北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
を変えた。彼の移転性は名高いもので一生の間に江戸市中だけで、八十回以上百回近くも
転宅をしたということである。越して行く家越して行く家いずれも穢ないので有名であっ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
た頃であった。 師匠東雲師の住居は駒形にあったが、その時分蔵前の北元町四番地へ
転宅することになった。 この家は旧|札差の作えた家で、間口が四|間に二間半の袖....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
に近くなる方が都合がよかったので、老人の勧めもあって、仲御徒町一丁目三十七番地へ
転宅しました。西町の宅よりも四丁ほど近くなったわけでした。 さて、彫工会の発会....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
御徒町に
転宅しまして病気も概かた癒りました。 その時が明治二十年の秋……まだ本当に元の....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
て許をくれました。当人は好きな道|故、雨が降っても雪の日でも決して休まず、谷中へ
転宅してかなり遠い道を通学致し、昼夜絵筆を離さぬという勉強で、余り凝っては身体の....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
○ 明治四十年九月十四日(葉書) 宝生新君件委細難有候。早速始めたいが
転宅前はちと困ります。
転宅後も遠方になると五円では気の毒に思います。いずれ落付次....
「呪われの家」より 著者:小酒井不木
妹の秘密が世間へ知れてしまうかもしれませんから、私たちは彼処に五日|此処に四日と
転宅ばかりして歩いたので御座います。 鬼頭さんも妹の行動には、殆ど持て余して居....
「私の洋画経歴」より 著者:小野佐世男
サネー会社、ミュチャル会社とチャップリンは短篇から長篇にと発展して行き、「夜通し
転宅」なぞのドタバタ喜劇から「犬の生活」「担え銃」「偽牧師」「移民」「黄金時代」....
「枯尾花」より 著者:関根黙庵
噂が溌と立て、客人の足が絶え営業の継続が出来ず、遂々この家も営業を廃て、何処へか
転宅してしまったそうだ、それに付き或る者の話を聞くに、この家は以前土蔵を毀した跡....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
た。お別れするまでに一度お眼にかかりたいのですが、私もお絹さんも病気で寝ており、
転宅の準備に忙しく取込んでいますし、あなたも学校の講義で忙しいことと思いますから....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
一 赤蜻蛉 私は麹町元園町一丁目に約三十年も住んでいる。その間に二、三度
転宅したが、それは単に番地の変更に止まって、とにかくに元園町という土地を離れたこ....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
忍んで俳句などを認めるところに淋しい満足があります。 淋しさや引越せし家の秋の風
転宅のしたてはどことなく家になじみが薄く落着かぬ心持のするものであります。同じ秋....