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「軽便鉄道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

軽便鉄道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
猫町」より 著者:萩原朔太郎
て買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした。だが私の実の楽しみは、軽便鉄道に乗ることの途中にあった。その玩具《おもちゃ》のような可愛い汽車は、落葉....
栗の花の咲くころ」より 著者:佐左木俊郎
るにはあるが、小牛田《こごた》で東北本線に乗り換え、瀬峯《せみね》まで行ってから軽便鉄道で築館《つきたて》まで行き、そから高清水まで歩くとなると、乗り換え時間の....
わが町」より 著者:織田作之助
それを知ってか知らずにか、百二十五名の移民はマニラで二日休養ののち、がたがたの軽便鉄道でダグバンまで行き、そこから徒歩でベンゲットの山道へ向った。 まず牛車....
メデューサの首」より 著者:小酒井不木
られる千人|風呂を二人で独占して泳いだり、あるいは三大湯滝に打たれたり、あるいは軽便鉄道の見える部屋で玉突きに興じたり、あるいは石ころばかりの海岸を伝い歩いて砂....
」より 著者:徳田秋声
のを、やっと二週間そこそこで切り揚げて来たお増は、嶮しい海岸の断崖をがたがた走る軽便鉄道や、出水の跡の心淋しい水田、松原などを通る電車汽車の鈍いのにじれじれしな....
」より 著者:太宰治
に出かけた。キンシを三十本ばかりと、清酒を一升、やっと見つけて、私はまた金木行の軽便鉄道に乗った。 「や、修治。」と私の幼名を呼ぶ者がある。 「や、慶四郎。」と....
箱根熱海バス紀行」より 著者:寺田寅彦
湯附近の空気中のイオンを計測するために出張を命ぜられて来たときは人車鉄道が汽車の軽便鉄道に変っていたが、それでもまだやはり朝東京を出て夕方熱海へ着く勘定であった....
土地」より 著者:豊島与志雄
を進み出した。歩きながら懐の財布に手を触れてみた。向うの雑木林の彼方には、一筋の軽便鉄道が走っていた。 専次は其処に佇んで、音吉の姿が雑木林の中に見えなくなる....
香奠」より 著者:豊島与志雄
田がやってたように(後で聞いたのですが)、町の中学校まで一里余りの道を、半分以上軽便鉄道の便がありながら、毎日徒歩で通学するのも、別に不思議なことではありません....
トロッコ」より 著者:芥川竜之介
小田原|熱海間に、軽便鉄道|敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村|外れへ、....
深夜の電話」より 著者:小酒井不木
ほめたたえながら、以前はここから小田原行の電車に乗り、小田原に着くとすぐ熱海行|軽便鉄道に乗ったので、軽便鉄道はその形が至って古めかしく、まるでステファンソンが....
平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
が、今は三間余の県道が通じて五十軒ばかりの人家が出来た、新来迎寺駅(魚沼鉄道)の軽便鉄道に搭じて九時三十四分に発車すると、十時十八分に小千谷駅に達する、そこから....
贋物」より 著者:葛西善蔵
しい疲労にもかかわらず、彼は睡むることができなかった。 翌朝彼は本線から私線の軽便鉄道に乗替えて、秋田のある鉱山町で商売をしている弟の惣治を訪ねた。そして四五....
明治の五十銭銀貨」より 著者:服部之総
であるが、「文明開化」の欧米諸本国とゲージを同じくする広軌ではなくて植民地の、「軽便鉄道」である狭軌から成っていたことは、すべてこれ、居留地外国商館のための「贋....
わが町」より 著者:織田作之助
それを知ってか知らずにか、百二十五名の移民はマニラで二日休養ののち、がたがたの軽便鉄道でタグパンまで行き、そこから徒歩でベンゲットの山道へ向った。牛車を雇って....