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輔
「輔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
輔の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
一 本所
大導寺信
輔の生まれたのは本所《ほんじょ》の回向院《えこういん》の近所だった。彼の記憶に残....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
た上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱《かいほう》した。中でも松平|兵部少
輔《ひょうぶしょうゆう》は、ここへ舁《かつ》ぎこむ途中から、最も親切に劬《いたわ....
「片信」より 著者:有島武郎
吉《みかみおときち》氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之
輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
慨如何? 八月十一日 ◯海作班第三準備会にて我家に集合。倉光(俊夫)、間宮(茂
輔)、角田(喜久雄)、湊(邦三)、村上(元三)、鹿島(孝二)、摂津(茂和)、小生....
「五色温泉スキー日記」より 著者:板倉勝宣
った。腹をかしたので遠慮したのであろう。したがって悪口をいわれた人はいわれ損だ。
輔仁会雑誌にのせたのは僕が悪い。大きな心で許してやれ。 (大正七年三月)....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
松之助、関根達発、立花貞二郎などという名まえをこの館で覚えた。松山館では山崎長之
輔、木下録三郎、沢村四郎五郎、井上正夫、木下八百子などを覚えた。 西洋物では「....
「雑文的雑文」より 著者:伊丹万作
するかぎり、この定評には黙つて頭を下げても差支えないが、他の人々、たとえば伊藤大
輔氏にしろ衣笠貞之助氏にしろ、また蒲田の島津保次郎氏にしろトーキー監督としてすぐ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
。(無論『八犬伝』の光輝はソンナ大向うの半畳で曇らされるのではない。) 金碗大
輔が八房もろとも伏姫をも二つ玉で撃留めたのはこの長物語の序開きをするセラエヴォの....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
帝展第七回出品 昭和 三年 「草紙洗」御大典記念御用画 同 四年 「伊勢大
輔」「新螢」伊太利日本画展出品 同 五年 「春秋二曲屏風一双」高松宮家御用画....
「帝展の美人画」より 著者:上村松園
一杯はかからずに仕上がるでしょう。 伊太利展の方は二尺五寸幅の横物に「伊勢の大
輔」を描いています。こちらは昨年御大典の御用画に描いた「草紙洗ひ」の小町と対にな....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
十二枚袋入がたった一朱であった。袋の文字は大河内侯の揮毫を当時の浅草区長の町田今
輔が雕板したものだそうだ。慾も得もない書放しで、微塵も匠気がないのが好事の雅客に....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
太夫という名からして寄席芸人じみていて何という理由もなしに当時売出しの落語家の今
輔と花山文を一緒にしたような男だろうと想像していた。尤もこういう風采の男だとは多....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
の運命を双肩に荷う国家の重臣や朝廷の貴紳ばかりであった。主人側の伊井公侯が先ず俊
輔聞多の昔しに若返って異様の扮装に賓客をドッと笑わした。謹厳方直容易に笑顔を見せ....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
日本主義の大学を設立する必要起こる。その大学は日本固有の学問を基本として、これを
輔翼するに西洋の諸学をもってし、その目的とするところは日本国の独立、日本人の独立....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
せるは、大いに深謝するところなり。 十日、炎晴。午前十時、ミュンヘン着。金子恭
輔、井出健六、瀬木本雄諸氏の出迎えあり。これより瀬木氏の案内にて、博物館、美術館....