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輟
「輟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
輟の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「愛卿伝」より 著者:田中貢太郎
なさないところがあった。趙も涙を流してそれを聞いていた。 歌の声は消えるように
輟んだ。趙は夢の覚めたようにして愛卿の側へ往った。 「おいで、お前にはいろいろ礼....
「太虚司法伝」より 著者:田中貢太郎
て、かあかあ、があがあと何か事ありそうに叫びながら廻った。大異はもう食事するのを
輟めていた。不思議な鴉の容子を見ていた大異の眼は、すぐ左の方の鴉の群の廻っている....
「弟子」より 著者:中島敦
きょうこう》との間に在って孔子は独り気力少しも衰《おとろ》えず、平生通り絃歌して
輟《や》まない。従者等の疲憊《ひはい》を見るに見かねた子路が、いささか色を作《な....
「浮雲」より 著者:二葉亭四迷
すき》こそ物の上手で出来る。いけ年を仕《つかまつっ》てもとかく人|真似《まね》は
輟《や》められぬもの、況《まし》てや小供という中《うち》にもお勢は根生《ねおい》....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ころ、元将|伯顔《バヤン》の名が、百眼と同音で、宋を亡ぼしたとある。これは確か『
輟耕録』にも見えいた。ここをユール注して、近世も似た事あり、インドの讖語《しんご....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
う種類のものはたくさんありますが、わたくしは今晩の御趣意によりまして、陶宗儀の『
輟耕録』を採ることにいたしました。陶宗儀は天台の人で、元の末期に乱を避けて華亭に....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
後嗣|亡《な》しと(同氏の『グジャラット民俗記』一四〇頁)。『類聚名物考』七は『
輟耕録』を引いて、宋帝の後胤《こういん》趙生てふ貧民が、木を伐りに行って大きな白....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
コ・ポロの書』一版一巻六一章に出《い》づ。胡元朝の遺民|陶宗儀《とうそうぎ》の『
輟耕録』四に、往々蒙古人雨を祷《いの》るを見るに、支那の方士が旗剣符訣等を用うる....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
羊児ごとく仕上げあった。孔子が見たてふ※羊談もかようの物に基づいただろう。また『
輟耕録《てっこうろく》』に漠北で羊の角を種えて能く兎の大きさの羊を生ず、食うに肥....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
に咬《か》み付くところを猴使いが叱り止めて御無事に事済んだと。 明の陶宗儀の『
輟耕録《てっこうろく》』二三に、優人《わざおぎ》杜生の話に、韶州《しょうしゅう》....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ころなり云々〉。本朝にも弥勒の名を仮りて衆を乱せし事歴史に見ゆとありて、頭書に『
輟耕録《てっこうろく》』二十九にも出《い》づとあるから取り出し読むと、果して至正....
「食堂」より 著者:森鴎外
ったわけでもないらしいが、犬塚の顔が差し当り木村の方に向いているので、木村は箸を
輟めて、「無政府主義者ですか」と云った。 木村の左に据わっている、山田というお....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
棲《す》む事あるより、時に伏蔵を守ると信ぜられたのだ。 『類聚名物考』三三七に『
輟耕録《てっこうろく》』から引いて、趙生なる者貧しく暮す、一日木を伐りに行って大....
「妖怪漫談」より 著者:岡本綺堂
統である。室町時代から江戸時代の初期になると、元明の怪談や伝説が輸入されて元の『
輟耕録』や、明の『剪灯新話』などの系統が時を得て来たのである。清朝の書物はあまり....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
を暴くして云った。 「お前は酔っている様だ。早く帰らッせえよ。」と、七兵衛は箒を
輟めて顧った。 「大きにお世話よ。後生だから若旦那をここまで呼んで来て頂戴。」 ....