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輿地
「輿地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
輿地の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「かのように」より 著者:森鴎外
ょうさん》している。子爵にも手紙の趣意はおおよそ呑《の》み込めた。 西洋事情や
輿地誌略《よちしりゃく》の盛んに行われていた時代に人となって、翻訳書で当用を弁ず....
「道草」より 著者:夏目漱石
も貰《もら》った事があるんだがな」 彼は『勧善訓蒙《かんぜんくんもう》』だの『
輿地誌略《よちしりゃく》』だのを抱いて喜びの余り飛んで宅《うち》へ帰った昔を思い....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
し、喜びて曰くこれ真竜あり、すなわち持ちて道場に入る、一夕にして雨ふる〉。『近江
輿地誌略』十一には、秀郷自分この鐘を鋳て三井に寄附せりとし、この鐘に径五寸ばかり....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
築くとか勝利を祈るとか馬を殺し沈めて祈る事多く、日本にもその例あったものか『近江
輿地誌略』八五に、浅井郡馬川は洪水の時白馬出て往来人を悩ますという。『沙石集』『....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
しゅう》伊香《いか》郡坂口村の菅山寺は昔猴が案内して勅使に示した霊地の由(『近江
輿地誌略』九〇)、下野《しもつけ》より会津方面にかけて広く行わるる口碑に、猿王山....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
中に含まれて、利根郡に編入されているが、もとは北勢多郡の村であった。富士見十三州
輿地全図には果して根利村(本図には誤って利根となっている)の東北隅利根郡に接して....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
がある。朝鮮そのものも、また、実は支那から見て日の本であった。朝鮮の地誌なる東国
輿地勝覧に朝鮮の名義を解して、「東表日出の地に居るが故に朝鮮と名付く」とある。漢....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。 ○『東国|
輿地勝覧』によれば韓国にても※壇を必ず城の北方に作ること見ゆ。ともに玄武神の信仰....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
に詣ずるとある。しかしその花摘社が仏誕生と関係があったことは未だ確かでなく、近江
輿地志略の如きはこの社の祭神を伝教大師の母なりと言い、この日は女子此処まで登り拝....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
あろうと、こういう説がこれまで行われております。本居内遠翁の「賤者考」や、「近江
輿地誌略」などの説、こうであったと記憶しております。しかし私は別の考えを持ってお....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
べきものであろう。 産所という一種の賤民のあった事は、つとに「賤者考」や「近江
輿地誌略」等によって注意された事で、柳田君の「郷土研究」にもその説が出ておった。....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
が唱門師で、妻が梓巫を業としていた。常人はかの種族と縁を結ぶことを忌んだ(『近江
輿地志略』)。 この点に重きを置けば、唱門師はまた下級の神主・修験者・または竈....