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「近松〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

近松の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
浅草公園」より 著者:芥川竜之介
尊徳《にのみやそんとく》、渡辺崋山《わたなべかざん》、近藤勇《こんどういさみ》、近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》などの名を並べている。こう云う名前もいつの間....
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
か。」 「いえ。不相変《あいかわらず》の無駄話ばかりでございます。もっとも先刻、近松《ちかまつ》が甚三郎《じんざぶろう》の話を致した時には、伝右衛門殿なぞも、眼....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
ぎない。 民衆 シェクスピイアも、ゲエテも、李太白《りたいはく》も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたし....
心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
ることになった。 お園と六三郎との名はとうとう浄瑠璃に唄われてしまった。しかし近松の時代と違って、事実を有りのままに仕組むということは遠慮しなければならないよ....
藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
る。皆の衆御免なされませ。なになに漣子《れんし》どの、巣林《そうりん》より、さて近松様からの書状じゃ。(口の中に黙読する、最後に至りて声を上げる)こんどの狂言わ....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
ればこそ詩や小説を読んで、その主人公とともに苦しみ共に喜ぶのである。わが国の沙翁近松は劇作の第一原則の一つとして、見る人に作者の秘密を打ち明かす事が重要であると....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
しいというよりもむしろ荒々しい気風にふさわしい遊戯であるからではなかろうか。既に近松門左衛門の『女殺油地獄』の中に――五月五日は女は家と昔から――という文句があ....
最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
鍋一つかぶる女にして、神人たる資格があったものと思われる。 五 女の家近松翁の「女殺油地獄」の下の巻の書き出しに「三界に家のない女ながら、五月五日のひ....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
しているのを見ても、黙阿弥の老健が思いやられる。外国の例はしばらく措き、日本でも近松といい、南北といい、黙阿弥といい、いずれも筆を執っては老健無比、まことに畏る....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
行をだも読まないものにも諳んぜられている。日本で沙翁と推されるのは作物の性質上|近松巣林子であって、近松は実に馬琴と駢んで日本の最大者である。が、近松の作の人物....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
少納言や鴨長明を読み、馬琴や京伝三馬の俗文学までも究め、課題の文章を練習する意で近松や馬琴の真似をしたり、あるいは俗文を漢訳したり漢文を俗訳したりした癖が抜け切....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
いう一種の疑念をいだくのが一般観客の心理状態であったらしい。 歌舞伎座の狂言は近松の「関八州繋馬」を桜痴居士が改作した「相馬平氏二代譚」を一番目に据えて、その....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
った。 上田博士が帰朝してから大学は俄に純文学を振って『帝国文学』を発刊したり近松研究会を創めたりした。緑雨は竹馬の友の万年博士を初め若い文学士や学生などと頻....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
け従来の国文型が抜け切れない処があった。二葉亭も院本や小説に沈潜して好んで馬琴や近松の真似をしたが、根が漢学育ちで国文よりはむしろ漢文を喜び、かつ深く露西亜文に....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
屋だったが、その後私もその同じ部屋に宿を借り、そこから博文館へ通ったのであった。近松秋江氏が筑土の植木屋旅館からここの離れへ移って来て、近くの通寺町にいた楠山正....