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「近松門左衛門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

近松門左衛門の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
浅草公園」より 著者:芥川竜之介
尊徳《にのみやそんとく》、渡辺崋山《わたなべかざん》、近藤勇《こんどういさみ》、近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》などの名を並べている。こう云う名前もいつの間....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
ぎない。 民衆 シェクスピイアも、ゲエテも、李太白《りたいはく》も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたし....
「迷いの末は」」より 著者:宮本百合子
なかった我々の不幸な祖先たちの心の苦痛の物語である。義理人情の詩人としての大選手近松門左衛門の諸作が今も日本人の間で生きのこっているのは、そのような哀々切々たる....
芭蕉について」より 著者:宮本百合子
候由、と二代目団十郎の書いたもののなかに語られている。 同時代の芸術家として、近松門左衛門や井原西鶴等の生きかたと芭蕉の生涯とは今日の目におのずから対比されて....
女性の歴史」より 著者:宮本百合子
のせいばかりにする人にどうして養生訓がかけただろう。 徳川時代の文学者としては近松門左衛門にしろ、西鶴、芭蕉にしろ、文学的にはずっと劣るが、有名ではある馬琴だ....
若い婦人のための書棚」より 著者:宮本百合子
」「十六夜日記」の母としての女性、徳川時代の「女大学」の中の女の戒律がその反面に近松門左衛門の作品に幾多の女の悶えの姿を持っていることは、意味深い反省を私たちに....
三つの「女大学」」より 著者:宮本百合子
名な元禄時代の商人興隆時代、文化の華やかな開花の時代、文学の方面では芭蕉、西鶴、近松門左衛門などがさかんな活動をとげた時代と、流れを一つにしている。経済の中心が....
私たちの建設」より 著者:宮本百合子
きていただろうと思う。 徳川の末、日本文学は興味ある変化を示した。その一つに、近松門左衛門の文学がある。彼の作品は、浄瑠璃として作られた。日本文学史の中で、近....
人間の結婚」より 著者:宮本百合子
にして幸福な瞬間として、良人以外の男性に好もしさを感じることを押えきれなかった。近松門左衛門は彼の横溢的な浄瑠璃の中で、日本の徳川時代の社会の枷にせかれて身を亡....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ところの眼底に、この時、一点の涙があるならば、それは春秋の筆法で慶応三年秋八月、近松門左衛門、机竜之助を泣かしむ……というようなことになるのだが、泣いているのだ....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
しいというよりもむしろ荒々しい気風にふさわしい遊戯であるからではなかろうか。既に近松門左衛門の『女殺油地獄』の中に――五月五日は女は家と昔から――という文句があ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
放送がありました。そういう世界の声、眼がまぢかに伝えられるのが、一区切りすると、近松門左衛門作忠臣蔵の舞台中継、さもなければ講談などというものがあります。 そ....
竹本綾之助」より 著者:長谷川時雨
》、吉田三郎兵衛などが盛名を博し、不世出の大文豪、我国の沙翁《さおう》と呼ばれる近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》が、作者として名作を惜気《おしげ》もなく与え....
藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
と思案の手を拱ぬいたのである。その時に、ふと彼の心に浮んだのは、浪華に住んでいる近松門左衛門の事であった。 四 それは、二月のある宵であった。....