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「近畿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

近畿の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
乱世」より 著者:菊池寛
日に馳せ帰った宇多熊太郎、十日に帰った築麻市左衛門を筆頭とし、その後数日の間に、近畿の間で、桑名藩の本隊と分かれ、思い思いの道を取って本国の桑名に帰っていたもの....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
5月3日 夜 十数機 阪神 4日 朝 三十数機 四国、近畿 同 十数機 関門地区 同 ....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
兆であると、後に語り伝えられた。 然るに無力でありながら陰謀好きの将軍義昭は、近畿を廻る諸侯を糾合して、信長を排撃せんとした。その主力は、越前の朝倉である。 ....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
した家柄で、山陽をして「翠楠必ずしも黄花に勝らず」と云わしめたが、活躍の舞台が、近畿でないから、楠公父子の赫々たる事蹟には及ばない。今、四条|畷の戦いを説くには....
空襲下の日本」より 著者:海野十三
、メーコン号にしては時刻がすこし喰いちがっています。中国からの襲撃でないことは、近畿以西の情報がないですから……」 「で、何処からだというのか」 「勿論、西比利....
弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
いわば野武士と浪人者と、南朝の遺臣の団体なのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、諸国の大名小名の間に、栄枯盛衰が行なわれ、国を失った者、....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
井村より見れば、男体女体の双峯天を刺して満山鬱蒼たり。春日山や、嵐山や、東山や、近畿には鬱蒼たる山多けれども、関東の山には樹木少なし。唯々筑波山のみは樹木鬱蒼と....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
尺、ただに北海道の十国島に冠たるのみならず、九州になく、四国になく、中国になく、近畿になく、奥羽になし。信濃を中心とする諸高山には劣るも、緯度高きを以て、山上の....
間人考」より 著者:喜田貞吉
でチャセンと云い、北陸方面でトウナイと云い、東海道筋で説経者またはササラと云い、近畿地方でオンボ(御坊)・シュク(宿また夙)などと呼ばれた身分のものも、もとは同....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
同じ系統に属すと認められるものが、数においては少いけれども、さらに本州中部から、近畿地方、中国、四国、九州にまで及び、遠く琉球にまで存在しているのでありまして、....
四つの都」より 著者:織田作之助
てらっしゃい」 三〇 国民学校の教室。 初枝が女生徒に地理を教えている。 黒板に近畿地方の地図が描かれていて、京都、奈良、大阪、神戸の位置をはっきり示している。....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
がありまして、最近に控訴院判事の尾佐竹君から写真を贈ってもらいました。東海道筋や近畿あたりにも随分それがおります。政府の調査なり保護なりが随分行き届いて、もはや....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
、このオロッコ族であったと解しているものである。そして彼らは、アイヌが石器時代に近畿、中国・四国・九州等にまで居た様に、かつては内地にも居たことがあったのではな....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
んじて、あまり短期の交替を望まなかったためでもあったとみえる。 因に云う、後世近畿地方にシュクと呼ばれた賤者階級の徒があった。解するものこれを以て守戸の後とな....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
陰道筋に多い鉢屋(大和などにも警吏の一種にこの名があった)、山陽道筋に多い茶筅、近畿地方の夙の類、あるいはいわゆるエタ仲間のある者の如き、また往々この流れを汲ん....