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「近衛府〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

近衛府の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
源氏物語」より 著者:紫式部
御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。 右近衛府《うこんえふ》の士官が宿直者の名を披露《ひろう》するのをもってすれば午前二....
源氏物語」より 著者:紫式部
な物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。近衛府《このえふ》の有名な芸人の舎人《とねり》で、よく何かの時には源氏について来....
源氏物語」より 著者:紫式部
いともっともなことを願っていた。 源氏は花散里夫人の所へも寄った。 「中将が左近衛府の勝負のあとで役所の者を皆つれて来ると言ってましたからその用意をしておくの....
源氏物語」より 著者:紫式部
なろうとするのであった。源氏の二種の香はこの時になってはじめて取り寄せられた。右近衛府の溝川のあたりにうずめるということに代えて、西の渡殿の下から流れて出る園の....
源氏物語」より 著者:紫式部
は院の御養女の婿であり、御子息であったから列席するのがむろんで、そのために左右の近衛府の中将に競技の参加者が多くなり、小弓という定めであったが、大弓の巧者な人も....
源氏物語」より 著者:紫式部
めてきた苦しい思いだけでもおささやきしたいと思った大将は、従者を呼ぶと、もとは右近衛府の将監であって、五位になった男が出て来た。大将は近く招いて、 「こちらへ来....
源氏物語」より 著者:紫式部
されたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。この日は右近衛府の下僚の招宴をして纏頭を出すならわしであったから、自邸でとは言っていたが、....
源氏物語」より 著者:紫式部
であると浮舟を悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人にしてやり、自身の右近衛府の将監をも兼ねさせてやった。まだ童形でいる者の中できれいな顔の子を手もとへ....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
でありました。聖武天皇は東人を以て中衛府を組織されました、宮中を衛るの義で、後の近衛府の起原を為したものでありますが、それを孝謙天皇にお譲りになります時に、 此....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ここにある。天皇の一令下に、諸国の武士をうごかすところだ。また朝暮、禁門をまもる近衛府とともに、みかどの、もっとも信頼に足る武将でもなければならない。そのひとは....