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追捕
「追捕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
追捕の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ならないというので、その方へも追手が廻りました。 お組屋敷の人たちは総出でその
追捕方《ついほかた》に向っているために、家庭においては出陣の留守を預かるような心....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
※の玉、水晶の管なぞの数点を身に付けて、生命からがら山林に紛れ込んだが、それから
追捕を避けつつ千辛万苦する事数箇月、やっと一ヶ年振りの十一月の何日かに都に着くと....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
くの間返事が出来なかったという。 一方に盟主、武部小四郎は事敗れるや否や巧みに
追捕の網を潜って逃れた。香椎なぞでは泊っている宿へイキナリ踏込まれたので、すぐに....
「鎮西八郎」より 著者:楠山正雄
さっそく肥後の国に根城を定め、阿蘇忠国という大名を家来にして、自分勝手に九州の総
追捕使という役になって、九州の大名を残らず打ち従えようとしました。九州の総
追捕使....
「犬神娘」より 著者:国枝史郎
|兼田伊織様などという、勤王の方々が幕府の手により、続々捕縛されまして、ご上人様
追捕の手も厳しくなったという、そういう情報がはいりましたので、これはうかうかして....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
いんとしたるなり。あるいはこれを九州海岸の防衛に役し、あるいは内地の山賊、海賊の
追捕に用うる等のこともありて、いちいち例証するの煩に堪えざるほどなり。内地におけ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
尉に任ぜられたがために、はなはだしく頼朝の忿怨を招き、後ついに頼朝より朝敵として
追捕の宣旨を申し下さるることとまでなったのである。しかるに義経は巧みにその捜索の....
「長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
もエタは早く定職を得て村役人となり、非人等を取締る傍ら、村内の警固に任じ、犯罪人
追捕及び処刑、行路病者の保護、行倒人の始末、穢物の取片附け等に従事したのであった....
「法然行伝」より 著者:中里介山
もうべし。 建永二年二月二十八日符到奉行 右大史中原朝臣 左少弁藤原朝臣
追捕《ついぶ》の検非違使《けびいし》は、宗府生久経、領送使は左衛門の府生武次であ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
も思うてはおりませぬ。幼少から御恩をうけた諸家に御迷惑をかけたのみならず、お上の
追捕人と手をひいて、行方をくらますなど、言語道断な女です。わが家の名にも泥を塗っ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
出会わない。 おそらく隠岐ノ判官清高は、やっと今頃、島前からの急使に仰天して、
追捕の船手の編成に狂奔していたのではあるまいか。 次の日のひる。 帝は海上か....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
れてきたものだった。 これを諸書には、下野に隠れたとあるが、足利の国元へはすぐ
追捕が廻っていたろうことはいうまでもない。またすでに高氏はむほんしたのだ。千寿王....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
あります。もっとも京都の河原者は、徳川時代には悲田院と云って、市中の警固や、盗賊
追捕などの用にも使われました。その京都の河原者の名が一般に及んだ事とは存じますが....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
、定期に扶持料を要求する。祝儀・不祝儀の際に、またそれぞれの贈与を要求する。盗賊
追捕の際にはその衣服を与えられる等の権利を与えられ、町方の警固なり、その雑役に任....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
使庁は今の警視庁のようなもので、訟獄の事にもあずかるが、主として非違の警戒罪人の
追捕を任としたものである。したがって賀茂祭の如き大祭には、その官人が勅使の行列の....