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逍遥
「逍遥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
逍遥の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「馬の脚」より 著者:芥川竜之介
あと》に、あるいは道塗《どうと》に行吟《こうぎん》し、あるいは山沢《さんたく》に
逍遥《しょうよう》し、あるいはまた精神病院|裡《り》に飽食暖衣《ほうしょくだんい....
「義血侠血」より 著者:泉鏡花
頭《つまさき》に戞々《かつかつ》と礫《こいし》を蹴遣《けや》りつつ、流れに沿いて
逍遥《さまよ》いたりしが、瑠璃《るり》色に澄み渡れる空を打ち仰ぎて、 「ああ、い....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
この年の四月、演劇研究のために洋行した。文芸協会はこの年の十一月、歌舞伎座で坪内
逍遥博士の「桐一葉」を上演した。 若葉会は更に東京毎日新聞社演劇会と変って、同....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
右衛門|大夫信就等、中央、下裾附近柳田表へは、内藤修理昌豊を先鋒となし、部将武田
逍遥軒|信廉(信玄の弟)、原隼人佐、安中昌繁等。又竹広表へは、先鋒山県三郎兵衛昌....
「伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
らしく、ひらひらと一つ、葉ばかりの燕子花を伝って飛ぶのが、このあたりの御殿女中の
逍遥した昔の幻を、寂しく描いて、都を出た日、遠く来た旅を思わせる。 すべて旧藩....
「神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
にかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。 むかし、秋田何代かの太守が郊外に
逍遥した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じ....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
ことである。が、作は随分沢山出たが、傑作は殆んどなかった。その折に出たのが、坪内
逍遥氏の『書生気質』であった。この書物はいままでの書物とはくらべものにならぬ優れ....
「恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
を講じ、僕は東京に文を売る。相見る事一年に一両度のみ。昔一高の校庭なる菩提樹下を
逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造....
「女侠伝」より 著者:岡本綺堂
墳――丁度まあその頃で、場面は西湖、時候は春で月明の夜というのだから、美人と共に
逍遥するにはおあつらえむきさ。しかしその美人に殺されたらしいのだから怖ろしい。勿....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
らの人物がどうのこうのというよりはドダイ小説や戯曲を尊重する気がしなかった。坪内
逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る気に....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
なったが、そのあいだで鋭意に真摯に、劇の革新と向上とに努力をつづけていたのは坪内
逍遥博士で、博士は『早稲田文学』をその本拠として、絶えず指導的の論評を試みていた....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
るが、一つは皮肉の冴を失った愚痴を聞くのが気の毒で堪らなかったからだ。 緑雨は
逍遥や鴎外と結んで新らしい流れに棹さしていた。が、根が昔の戯作者系統であったから....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
なくて、一図に血気に任して意地を貫いてしまった。 あたかもその頃であった。坪内
逍遥の処女作『書生気質』が発行されて文学士|春廼舎朧の名が俄に隆々として高くなっ....
「層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
十九尺、忠別岳が六千四百七十七尺、化雲岳が六千三百四十九尺也。 下って御花畑に
逍遥せしに、微雨至る。去らむとすれば霽る。もとの路を取りて、昨夜野宿せし跡を左に....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
作の「弁天小僧」を無断上演して、作者の遺子吉村いと女より告訴せらる。裁判所は坪内
逍遥博士に鑑定を命じ、結局原告の勝訴となる。 ○一月、菊五郎は病気のために、歌舞....