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逕
「逕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
逕の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
ものか、庭のすみに小さな木戸を作って、その花園の母屋《おもや》からずっと離れた小
逕《こみち》に通いうる仕掛けをしたりした。二人は時々その木戸をぬけて目立たないよ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、お琴とお由が左右の手をとって、むやみに引き摺りながら駈け出した。山の降り口は石
逕《いしだたみ》になっている。その坂路を転げるように逃げ降りて、寺の本堂前まで帰....
「運命」より 著者:幸田露伴
也。況んや、大喪の期未だ終らざるに、無辜の民驚きを受く。仁を求め国を護るの義と、
逕庭あるも亦甚し。大王に朝廷を粛清するの誠意おわすとも、天下に嫡統を簒奪するの批....
「縮図」より 著者:徳田秋声
て指先の凍るような井戸の水で顔を洗い、上半身をも拭いて崖はずれの処に開けた畑の小
逕や建物のまわりを歩いていた。軽い朝風の膚ざわりは爽快だったが、太陽の光熱は強く....
「黴」より 著者:徳田秋声
ませんよ。」 女は別れる前に、ある晩笹村と外で飲食いをした帰りに、暗い草原の小
逕を歩きながら言った。女は口に楊枝を啣えて、両手で裾をまくしあげていた。 「田舎....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
然にはずかしめられ、ただ一|親戚たる川島家との通路は絶えつ。果てはただ一立身の捷
逕として、死すとも去らじと思える参謀本部の位置まで、一言半句の挨拶もなくはぎとら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の林と原野とを利用して、相当人間の技巧を加えたのが、久しく主に置き忘れられて、三
逕荒《さんけいこう》に就き、松菊なお存するの姿にはなっていたけれど、これもきのう....
「星女郎」より 著者:泉鏡花
程な六十左右の婆々が、暢気らしく、我が背戸に出たような顔色して立っていた。 山
逕の磽※、以前こそあれ、人通りのない坂は寸裂、裂目に草生い、割目に薄の丈伸びたれ....
「嬰寧」より 著者:田中貢太郎
歩いていった。果して半畝位の庭があって、細かな草が毛氈を敷いたように生え、そこの
逕には楊柳の花が米粒を撒いたように散っていた。そこに草葺の三本柱の亭があって、花....
「昨日・今日・明日」より 著者:織田作之助
の証拠には浪花節が上手でも、逆立ちが下手でも、とにかく兵隊としての要領の拙さでは
逕庭がなかった。ことに命令されたことをテキパキ実行できないというへまさ加減では、....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
が通ってはおりません。両方がずっと田圃で、田の畷を伝って、畷とも道ともつかない小
逕を無数の人影がうようよしている。田圃の中には燈火が万燈のように明るく点っている....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
喰町の木地問屋に仕事に通い出したというのですから、その少年時代から青年へ掛けての
逕路は、ほとんど私と同じであってただ私が仏師の家の弟子となり、光明氏が牙彫師の家....
「山吹」より 著者:泉鏡花
、道を覗きて枝垂る。背景勝手に、紫の木蓮あるもよし。よろず屋の店と、生垣との間、
逕をあまして、あとすべて未だ耕さざる水田一面、水草を敷く。紫雲英の花あちこち、菜....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
、嘉与吉を案内として、南口から直接登って来た、氏は昨夜温泉で、我行を聞き、同一|
逕路を取らんため来たのである。いつまで待っても、霽れそうもなければ、正午一行と別....
「神代史の研究法」より 著者:津田左右吉
化の発達の程度によって決して一様でない。上代人の思想と今人の思想との間には大なる
逕庭があって、それはあたかも今日の小児の心理と大人との間に差異があると同じことで....