通俗文[語句情報] » 通俗文

「通俗文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

通俗文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
、従って又新聞小説の一種の娯楽的性質が注意されていいと思う。 どうせ新聞小説は通俗文学や大衆小説だから、娯楽のようなものに過ぎない、という意味ではない。むしろ....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
来た老人達のみで三十年以前から書き来《きた》った儘《まま》に、漸く消えなんとする通俗文芸の命脈を保っているに過ぎなくなった。 樗牛、鴎外、抱月、逍遥四人の優れ....
今日の文学の鳥瞰図」より 著者:宮本百合子
今日作品の実際では申合せたように歴史小説の分野に紛れ込んだり、通俗的な大衆文学、通俗文学に入って行っていることも、複雑な観察を求める現象である。 多くの作家に....
文学の大衆化論について」より 著者:宮本百合子
》に入り易き表現ということを、便宜的に大衆的という云い方でとりあげていて、従来の通俗文学との間に、画すべき一線のありやなしやを漠とさせている点等にある。同時に、....
今日の文学に求められているヒューマニズム」より 著者:宮本百合子
ロレタリア文学が、芸術の内容と表現における社会性との問題にふれて、従来の純文学と通俗文学とは質において異った階級の社会性に立つ文学として、文学の大衆性をとりあげ....
今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
が予期されていた純文学と通俗小説との文学的本質の相異が改めて究明されるに至った。通俗文学と純文学との質の相異はただ生活と文学的現実の中で、必然と偶然とに対する解....
おのずから低きに」より 著者:宮本百合子
、作家のより溌剌な親しみのある文化性のあらわれであるかのような身ぶりをもって、新通俗文学の産出にしたがいはじめたと観られる。 三 読者は敏....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
を嘗て書いたのはこの同じ人かという感想を与える結果を来したかもしれない。いつしか通俗文学に入ったかもしれないとも思える。一葉には、自分が恋愛について、友情につい....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
れ、彼等の利害を代表し、彼等の手によって運動の形に移される。転向文学から純文学、通俗文学(菊池・久米の如き)を含む文学動向(大衆文学は別だ)は、今日何と云っても....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
信用を付与するものは、常識・通念・世論・等々であるが、ここに再び、文芸の領域では通俗文学や大衆小説の問題が、一般に文化と啓蒙との問題が、横たわっているのを見るこ....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
シズムの再評価という問題の提起からである。文学が文学としての純粋さを失って、所謂通俗文学に堕すことなしに、而も之を大衆的な興味に訴えることがどうして出来るか、と....
新女大学」より 著者:福沢諭吉
そ年少女子の為めに無害なれども、若しも一々これを解釈して詳《つまびらか》に今日の通俗文に翻訳したらば、婬猥《いんわい》不潔、聞くに堪えざること俗間の都々一《どど....
悲願に就て」より 著者:坂口安吾
ものが今日では大衆文学にすぎなくなっていることのように、一時代の芸術が次の時代の通俗文学にすぎない例は数多い。というのは、その作品の生みだした新らしい倫理が次の....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
の国語に訳したる『バイブル』を用い、人をしてその意を解しやすからしむ。真宗にても通俗文のものを用い、愚俗をしてたやすく宗意を解せしむること。 第二点、新教も真宗....
日本の民衆と「日本的なるもの」」より 著者:戸坂潤
この種の「具体化」ということにこの時すでに気づき始めた。横光利一氏が純文学にして通俗文学である処の純粋小説論を唱えたのも、その論理の説得力は別として、この問題を....