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「通学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

通学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或る女」より 著者:有島武郎
のうちに生徒たちから受けねばならぬ迫害を思うと不憫《ふびん》でもあった。で、毎日通学するには遠すぎるという理由のもとにそこをやめて、飯倉《いいくら》にある幽蘭《....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
ときに作った詩でございます。それで自分の生涯を顧みてみますれば、まだ外国語学校に通学しておりまする時分《じぶん》にこの詩を読みまして、私も自《おのず》から同感に....
婦系図」より 著者:泉鏡花
三人の妹が、それぞれ学校に通っているので、すでに縁組みした令嬢たちも、皆そこから通学した。別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊塾と題したのである。漢詩の嗜が....
自叙伝」より 著者:大杉栄
してくれた。が、僕は語学校を出ればすぐ大学の選科にはいれ、その選科からはさらに普通学の試験を受けて本科に移れることをよく承知していたのだった。 とにかく僕はす....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、平河町に平河小学校というのがあって、その附近に住んでいる我々はどちらかの学校へ通学しなければならないのであった。女学校と云っても女の子ばかりではなく、男の生徒....
棺桶の花嫁」より 著者:海野十三
らなかった。でもその給料は、とにかく二人の生活を支え、そしてミチミを或る女学館に通学させて置くだけの余裕はあったのである。 午前十時ごろ、彼は支配人のブラッド....
阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶蘇学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が家に帰って来た時には....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
。そのうち伊藤も試験にパスして松竹キネマ俳優学校の生徒となり、一定の給費を受けて通学するようになつたので、我々は谷中真島町の下宿に移つて別々の部屋におさまつた。....
深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
をしてやることになったのである。兄の透はこの近所の植木屋の座敷を借りて、そこから通学している。これだけのことは奥さんの説明によって会得することが出来た。多代子は....
月世界跋渉記」より 著者:江見水蔭
人はいずれも月野理学博士の親戚の少年で博士の家に厄介になって、その監督をうけつつ通学しているのだが、いつの間に聞き出したか、桂田博士と月野博士の計画を知って、是....
」より 著者:犬田卯
生各自への二十銭の割当寄付によったもので、一家四五名の卒業生も珍らしくなく、現在通学中の児童へ一本の鉛筆を買い与えることすら容易でないものも既定額を出さねばなら....
四十年前」より 著者:内田魯庵
大に見た。随って当時の女学校の寄宿舎の応接室に青年学生の姿を見ない日はなかった。通学生の待合室にすらも若い学生がしばしば出入した。学生の倶楽部や青年の会合には必....
今日になるまで」より 著者:上村松園
五年四月、八つで小学校六級に入学しました。草履袋をさげ石盤と石筆を風呂敷に包んで通学したものでした。 その頃習ったものは修礼(お作法)手芸が主なものでした。私....
西航日録」より 著者:井上円了
く温肉、曰くポテトなり。食事の傍観もすこぶる興味あるを覚ゆ。この校の規則として、通学生も昼食料を納めて、寄宿生と同様に食堂にて喫飯するなり。 大学はもちろん、....
深夜の客」より 著者:大倉燁子
ました。譲治は家族同様の待遇という約束でその家に移ることになったのです。そこから通学を始め、親友は始終訪ねて来て何かと世話をやいてくれました。末亡人には冬子とい....