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「通院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

通院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
若杉裁判長」より 著者:菊池寛
高等学校の確か二年生であった頃ですが、若杉さんは、ある晩、春日《かすが》町から伝通院《でんつういん》の方へ富坂《とみざか》を登っていたそうです。すると、半分ばか....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
あたかも、その日は右門の先代の祥月命日に当たりましたので、夕がたかけて小石川の伝通院へ墓参におもむき、そこの院代の南円|和尚《おしょう》が、ちょうどまたよいこと....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
いはいずれじゃ」 「法眼さまがおなくなりになりましてから二年このかた、小石川の伝通院裏にご隠宅を構えて、若党ひとりを相手に、ご閑静なお暮らしをしていらっしゃると....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
と首をひねりひねりお供していったら――」 「どこのお寺へいった!」 「小石川の伝通院の裏通りに、恵信寺《えしんじ》ってえいう小さなお寺がありますね、あのお寺の寂....
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
の家が、ゴチャゴチャしている事が表通りから見える。 ここから電車通りを菊屋橋伝通院の方へ、平凡なバラック気分を通り抜けると浅草へ来る。 ここへ来ると又ガラリ....
思い出の記」より 著者:小泉節子
なりました。ヘルンは禅宗が気に入ったようでした。小泉家はもともと浄土宗ですから伝通院がよかったかも知れませんが、何分その当時は大分荒れていましたので、そこへ参る....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
まない。 五月五日 ◯昨四日、慶大病院へ行ったが、もう大分いいから、しばらく(通院を)休んではどうかといわれた。或る程度まで治り、そして或る程度以上は治らぬこ....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
から濠ばた沿いに右へ道をとり、水戸邸の手前からさらに左へ折れて、どうやら駕籠は伝通院を目ざしているらしいのです。 目ざしているところも不思議だが、今か今かと油....
納豆合戦」より 著者:菊池寛
。 私が、まだ十一二の時、私の家は小石川の武島町にありました。そして小石川の伝通院のそばにある、礫川学校へ通っていました。私が、近所のお友達四五人と、礫川学校....
皿屋敷」より 著者:田中貢太郎
永預となったので家は忽ち断絶し、邸はとりこぼたれて草原となった。このお菊の霊は伝通院の了誉上人が解脱さしたのであった。....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
ので、ことし十七のお筆は途方にくれた。 父が遺言に、東京の四谷見付外と小石川伝通院前とに遠縁の者がいる。それをたずねて何とか身の処置を頼めとあったので、お筆は....
有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
ので、ことし十七のお筆は途方にくれた。 父が遺言に、東京の四谷見附外と小石川伝通院前とに遠縁の者がいる。それをたずねて何とか身の処置を頼めとあったので、お筆は....
式部小路」より 著者:泉鏡花
の気も知らねえで、」 「いえ、ところが、私だって喰うや喰わず、昔のともだちが、伝通院うらの貧乏長屋に、駄菓子を売って、蝙蝠のはりかえ直しと夫婦になって暮している....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
たから、これも早くから一癖あった季の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院前の伊勢長といえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
て行っている中に朝鮮人に毒を盛られて殺されてしまった。その死ぬる時に五台山停点普通院の壁上に左の手記あるを慈覚大師が発見せられた、「日本国内供奉翻経大徳霊仙元和....