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逢坂
「逢坂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
逢坂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
二 巳之助の一件から十日ほどの後である。京の織物|商人《あきんど》の
逢坂屋伝兵衛が手代と下男の三人づれで、鈴ヶ森を通りかかった。本来ならば川崎あたり....
「身投げ救助業」より 著者:菊池寛
を踏む。どうしても水死をしたいものは、お半長右衛門のように桂川まで辿って行くか、
逢坂山《おうさかやま》を越え琵琶湖へ出るか、嵯峨の広沢の池へ行くよりほかに仕方が....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
私はうれしゅうございます。一生に一度はお目にかかりたいと祈っていました。 同行三
逢坂の関を越えてここは京と聞いたとき私は涙がこぼれました。 同行四 ほんになかな....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
か知らぬが真面目くさって月並調の和歌を詠じている。政宗の「さゝずとも誰かは越えん
逢坂《あふさか》の関の戸|埋《うず》む夜半《よは》の白雪《しらゆき》」などは関路....
「楢重雑筆」より 著者:小出楢重
殊に大阪人を非常に厭がったものであった、東京から暑中休暇で帰郷する時など、汽車が
逢坂山のトンネルを西へぬけるとパット世界が明るくなるのは愉快だがワッと大阪弁が急....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
が、ひとりでに覚えた浪花節のようなところもあった。 これやこの、知るも知らぬも
逢坂の、行きかう人は近江路や、夜をうねの野に啼く鶴も、子を思うかと哀なり。番場、....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
で、これが本歌になって模倣せられたのは、その後世ぶりが気に入られたものである。「
逢坂の関の清水にかげ見えて今や引くらむ望月の駒」(拾遺・貫之)、「春ふかみ神なび....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
が、十分過ぎでした。立ち話もそんな場所ではできず、前から部屋を頼んでおいた近くの
逢坂町にある春風荘という精神道場へ行こうとすると、新聞の写真班が写真を撮るからち....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
り着くんだなんて、とても張り切ってたよ。 清原 そりゃ大変だな。殊に夜道になると
逢坂山を越えるのは一苦労だぜ。……でも、何だってよりによって夕方なぞにお発ちにな....
「丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
は、あくる日丹那山の唯一の名所、鸚鵡石を見物して行く事にした。(鸚鵡石は、志摩国
逢坂山のが一番名高い。つまり声の反響、コダマの最もよく聴こえる個所なので、現在で....
「車中有感」より 著者:上村松園
のあどけない姿であった。 汽車が京都駅を発ってしばらくしてからのことであった。
逢坂トンネルを抜けて、ひろびろとした琵琶の湖を眺めていると、近くで、優しい声がし....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
小倉みゆき 大江文子 松浦もしほ 三好小夜子 筑波峰子 若菜君子
逢坂関子 その指導者としては安藤弘氏、唱歌は安藤智恵子夫人、音楽は高木和夫氏、....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
重散りしける山ざくらかな 花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
逢坂や梢の花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉村 み吉野のたかねの桜ちりにけりあらしも....
「古事記」より 著者:太安万侶
た。その時に頭髮の中から豫備の弓弦を取り出して、更に張つて追い撃ちました。かくて
逢坂《おおさか》に逃げ退いて、向かい立つてまた戰いましたが、遂に追い迫《せま》り....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
も、とある廂の下に何だか陽気そうに集っていた。外に荒物屋が一軒。 此処が清水村
逢坂。 何でも、そこらの山林にいる伐木人夫どもが、たまに酒でも飲みにやって来よ....