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連句
「連句〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
連句の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「映画時代」より 著者:寺田寅彦
に使用してよいわけである。 これに対する有益なヒントはたとえば俳諧《はいかい》
連句《れんく》の研究によっても得られる。
連句における天然と人事との複雑に入り乱れ....
「天狗」より 著者:太宰治
凡兆にやられて、ちょっと厭気がさして来たのか、どうも気乗りがしないようだ。芭蕉は
連句に於いて、わがままをする事がしばしばある。まるで、投げてしまう事がある。浮か....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
めて無限な「面」の世界が広がる。 これは単なる言葉の上のアナロジーではあるが、
連句はやはり異なる個性のおのおののXY、すなわちX1……によって組み立てられた多....
「俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
「うずたかく」とはいかなる点をさすのか自分にはよくわからない。しかし、ともかくも
連句というものの世界の広大無辺なことを思わせる一例であろう。少し変わった言い方を....
「映画雑感(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
の目から見ても最もすぐれたモンタージュ芸術の典型として推すべきものはいわゆる俳諧
連句そのものである。 ヤニングスとディートリヒの「青い天使」「嘆きの天使」とい....
「映画芸術」より 著者:寺田寅彦
がモンタージュ構成であると言っている。 私はかつて「思想」や「渋柿」誌上で俳諧
連句の構成が映画のモンタージュ的構成と非常に類似したものであるということを指摘し....
「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」より 著者:寺田寅彦
の場が映し出されるのである。この序曲はかなりおもしろく見られ聞かれる。試みに俳諧
連句にしてみると 朝霧やパリは眠りのまださめず 河岸のベンチのぬれてやや寒 有....
「俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
の短歌である。その線の途中から枝分かれをして連歌が生じ、それからまた枝が出て俳諧
連句が生じた。発句すなわち今の俳句はやはり連歌時代からこれらの枝の節々を飾る花実....
「映画雑感(Ⅲ)」より 著者:寺田寅彦
れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作者に多少でも俳諧
連句の素養があらば、こういうところでいくらでも効果的な材料の使い方があるであろう....
「日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
を受けた点も多いように思われるのである。 なお拙著「蒸発皿」に収められた俳諧や
連句に関する所説や、「螢光板」の中の天災に関する諸編をも参照さるれば大幸である。 (昭和十年十月、東洋思潮)....
「断片(Ⅱ)」より 著者:寺田寅彦
一
連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。前句の世....
「マーカス・ショーとレビュー式教育」より 著者:寺田寅彦
たいと思っていた。早慶戦のあった金曜日の夕方例によって友人と新宿の某食堂で逢って
連句をやろうと思っていると、○大学の学生が大勢押しかけて来て、ビールを飲んで卓を....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
。それは、 「歩いて帰ろうや。」という居士の動議によったものであった。その帰りに
連句を作った。余と碧梧桐君とは
連句というものがどんなものかそれさえ知らなかったの....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
較的多く能を見に誘い出した。それで細君との約束を果すことが出来た。 その頃私は
連句を研究していて「
連句論」を『ホトトギス』に載せた。明治三十七年の九月に漱石氏....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
に促進されて、詩文の技倆はどしどし上達し、寺へ訪ねて来る当時有名な詩人達と百句の
連句を作るのに線香二三本の間に出来てしまうほど、短い期間の割には熟練を遂げた。 ....