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連年
「連年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
連年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
かも知れぬが、今は尻や臍の問題ではない、生命《いのち》の問題である。近来、殆んど
連年かかる悲惨なる目に遭い、その上|苛税《かぜい》の誅求《ちゅうきゅう》を受ける....
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
改修、祭典の用意をなし、何不足なく数百年を面白く経過し来たりしなり。今この不景気
連年絶えざる時節に、何の急事にあらざるを、大急ぎで基本財産とか神社の設備とか神職....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
方は、いずれも家政を改革し、費用を省略して、生活の道を立てる必要に迫られて来た。
連年海陸軍の兵備を充実するために莫大な入り用をかけて来た旧幕府では、彼らが知行の....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
の敢て言わざる事をも言うようになっていて、数諫めて数聴かれた。寧親は文化元年五月
連年|蝦夷地の防備に任じたという廉を以て、四万八千石から一躍して七万石にせられた....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
う》の地を材略武勇の足らぬものに托《たく》して置くことは出来ぬ。まして伊達政宗が
連年血を流し汗を瀝《したた》らして切取った上に拠ったところの地で、いやいやながら....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
二期間では死亡が出生を超過した。軽微な伝染病は表全体にかなり濃厚に分布している。
連年三、四の伝染病が発生して人口を減少せしめた事例が二度あるが、その後には結婚と....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
』および失明後終結 『八犬伝』は文化十一年、馬琴四十八歳の春|肇輯五冊を発行し、
連年あるいは隔年に一輯五冊または六、七冊ずつ発梓し、天保十二年七十五歳を以て終結....
「三国志」より 著者:吉川英治
そこで関羽は、 「さん候。この国、黄賊の大軍に攻蝕せらるること久しく、太守の軍、
連年に疲敗し給い、各地の民倉は、挙げて賊の毒手にまかせ、百姓|蒼生みな国主の無力....
「三国志」より 著者:吉川英治
た。 「以前の城門街あたりに、みすぼらしい茅屋が、数百戸あるようです。――それも
連年の飢饉や疫病のために、辛くも暮している民ばかりのようです」 侍臣は、そうお....
「三国志」より 著者:吉川英治
のを千里|征くも、二千里征くも大差はない。ことに、袁紹の遺子を流浪させておけば、
連年、どこかで叛乱を起すにちがいありません」 議事は決した。 遼西、遼東は、....
「三国志」より 著者:吉川英治
る漁翁があった。 悠々千里の流れに漁りして、江岸に住んでいる漁夫や住民は、もう
連年の戦争にも馴れていて、戦いのない日には、閑々として網を打ち、鈎を垂れているな....
「三国志」より 著者:吉川英治
末世現代にいたり、中央は逆臣の府、地方は乱賊の巣と化し、紊れに紊れ、百姓の塗炭は
連年|歇まざる状態にある。時に、わが君劉玄徳には、その血液に漢室の正脈をつたえ、....
「三国志」より 著者:吉川英治
の蜀漢の地は、先帝玄徳が領治して以来、余りにもまだ国家としての歴史が若く、かつは
連年の軍役に、まだとうてい魏や呉の強大と対立するだけの実力は内に蓄えられていない....
「三国志」より 著者:吉川英治
官を正し、蒋※などの大官にも厳戒を加え、ふたたび意気をあらためて、漢中へ向った。
連年の出師に兵のつかれも思われたので、今度は全軍をふたつに分けて、一半を以て、漢....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
たものであることは否めまい。 当の公綱の思わくにすれば、遠い蝦夷地ノ乱などで、
連年いくら功をあげても、中央では知る者もないが、ここで楠木討伐に剋てば、一躍、わ....