遊芸[語句情報] »
遊芸
「遊芸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
遊芸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「一夕話」より 著者:芥川竜之介
いました。それがまたなぜだと訊《たず》ねて見ると、わたしはあの女を好いていない、
遊芸を習わせるのもそのためだなぞと、妙な理窟をいい出すのです。そんな時はわたしが....
「老年」より 著者:芥川竜之介
の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩《ほうとう》と
遊芸とに費した人とは思われない。中洲の大将や小川の旦那が、「房さん、板新道《いた....
「富士」より 著者:岡本かの子
」 女《ひめ》は、幼いときから、礼儀作法を仕込まれた。女の嗜《たしな》みになる
遊芸の道も仕込まれた。しかし最も躾《しつ》けに重きを置かれたのは生活の調度の道だ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ざいます」と、彼は語り終って溜息をついた。「香花《こうはな》茶の湯から琴三味線の
遊芸まで、みな一と通りは心得ていますし、容貌《きりょう》はよし、生まれ付きおとな....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
今年十七で、町内でも評判の容貌好しである。津の国屋は可なりの身代で、しかも親達が
遊芸を好むので師匠にとっては為になる弟子でもあった。文字春は自分の大切な弟子の身....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
一九 宇治紫山 僕の一家は宇治紫山という人に一中節を習っていた。この人は酒だの
遊芸だのにお蔵前の札差しの身上をすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
けないくらいであった。しかし今日のように追剥ぎや出歯亀の噂などは甚だ稀であった。
遊芸の稽古所と云うものもいちじるしく減じた。私の子供の頃には、元園町一丁目だけで....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間
遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧|旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の....
「化銀杏」より 著者:泉鏡花
、ものの本など好みて読めば、文書く術も拙からで、はた裁縫の業に長けたり。 他の
遊芸は知らずと謂う、三味線はその好きの道にて、時ありては爪弾の、忍ぶ恋路の音を立....
「廿九日の牡丹餅」より 著者:岡本綺堂
かったが、まさかに売切れることもあるまいと多寡をくくっていたのが今更に悔まれた。
遊芸の師匠であるから、世間の人よりも起きるのがおそい。お熊が朝の仕事を片付けて、....
「無表情の表情」より 著者:上村松園
絵のことはそれは別としまして、茶もあれば花もあり、また唄いもの弾きもの、その他の
遊芸などもありますが、その中で謡曲、能楽の道はなんといっても一とう物深く精神的で....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
る薄羽織の五紋が立派さね。――この紋が御見識だ。何と見えます――俳優ともつかず、
遊芸の師匠ともつかず、早い話が、山姥の男妾の神ぬしの化けたのだ。……間が離れて向....
「春の修善寺」より 著者:岡本綺堂
柱に囲まれていた。色々の新しい建物が丘の中腹まで犇々と押つめて来て、そのなかには
遊芸稽古所などという看板も見えた。 頼家公の墳墓の領域がだんだんと狭まってゆく....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
迂濶歩けない位であった。しかし今日のように追剥や出歯亀の噂などは甚だ稀であった。
遊芸の稽古所というものも著るしく減じた。私の子供の頃には、元園町一丁目だけでも長....
「鰯」より 著者:岩本素白
た。すると年老いた師匠が、鶯でないところが面白いんですよ、と言ったのは、必ずしも
遊芸の師匠の如才ないところから、そう云ったのでもあるまい。やはり芸ごとをやって暮....