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運慶
「運慶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
運慶の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「荒雄川のほとり」より 著者:佐左木俊郎
、今にその堂宇《どうう》を残しているのであるが、最近、それが聖徳太子の作ではなく
運慶《うんけい》の作であることが鑑定され、近く国宝に編入されるという噂である。も....
「文芸の哲学的基礎」より 著者:夏目漱石
缶じゃ御話しにならんよと、一言で退《しりぞ》けられたなら、鬚こそいい災難である。
運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。しかしその体格は解剖には叶《かな》ってお....
「草枕」より 著者:夏目漱石
そう》に戻る訳には行かぬ。この故《ゆえ》に動《どう》と名のつくものは必ず卑しい。
運慶《うんけい》の仁王《におう》も、北斎《ほくさい》の漫画《まんが》も全くこの動....
「夢十夜」より 著者:夏目漱石
痕《あと》の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵《かたき》である。 第六夜
運慶《うんけい》が護国寺《ごこくじ》の山門で仁王《におう》を刻んでいると云う評判....
「三人の相馬大作」より 著者:直木三十五
「これが、相馬大作を召捕った、女狩右源太じゃ。近うよって拝見せい。面は拙うても、
運慶の作、そうら笑った。そら歩いた」 往来の人々が、笑って、集ってきた。 「そ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
棒を構えたところ、そのままにおのずと備わっているのでありました。こうして見ると、
運慶の刻《きざ》んだ十二神将の形をそのままであります。 不思議なのはそれのみで....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
十二童子十六|羅漢さては五百羅漢、までを胸中に蔵めて鉈小刀に彫り浮かべる腕前に、
運慶も知らぬ人は讃歎すれども鳥仏師知る身の心|耻かしく、其道に志す事深きにつけて....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
なかった。 そのかわり、俥に寒い風が添ったのである。 ――さて、毛越寺では、
運慶の作と称うる仁王尊をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。 「御参詣の方にな、お....
「不動像の行方」より 著者:田中貢太郎
れは薬師堂でございます。あの薬師の脇立になっております不動は、銘はありませんが、
運慶か湛慶か、何人か名ある仏師の作でありましょう、ちょいと変っております」 傍....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の槍先は、金城鉄壁をも覆《くつがえ》すの力に充ち満ちていました。 いい形です。
運慶の刻んだ神将だの、三十三間堂の二十八部衆のうちに、まさにこれに類する形があり....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
い》しているのと、案内人が遠慮会釈もなく、「これが有名な東大寺大仏殿の仁王、右が
運慶《うんけい》、左が湛慶《たんけい》――」と言って、作ということを言わないから....
「スパーク」より 著者:寺田寅彦
世界中の学者は一度に溜飲が下がったような気がするであろう。 三
運慶が木材の中にある仁王を掘り出したと云われるならば、ブローリーやシュレディンガ....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
、桂離宮も見たことがなく、雪舟も雪村も竹田も大雅堂も玉泉も鉄斎も知らず、狩野派も
運慶も知らない。けれども、僕自身の「日本文化私観」を語ってみようと思うのだ。祖国....
「回想録」より 著者:高村光太郎
て立向うというものは、どうしても鎌倉時代あたりに行かなければならぬ。鎌倉では矢張
運慶一派のものに見るべきものがあるが、ただ鎌倉のものは多少俗だ。然し
運慶の無著禅....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
基衡が毛越寺を営むや、丈六薬師仏ならびに十二神将の彫刻を、当時の京都の仏師雲慶(
運慶とは別人、かつて『歴史地理』上
運慶と書いたのは誤植なり)に依頼した。この時雲....