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「道の神〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

道の神の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
名人伝」より 著者:中島敦
の家の屋上《おくじょう》で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の内に宿る射道の神が主人公の睡《ねむ》っている間に体内を脱《ぬ》け出し、妖魔《ようま》を払《....
自叙伝」より 著者:大杉栄
学士の教頭が、倫理の時間に、武士道の話をした。それは、死処を選ぶということが武士道の神髄だ、というのだった。 僕はその話にすっかり感服した。そして僕の武士道を....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
す/\耳について寂しい。宿から萩の餅を一盂くれた。今宵は中秋十五夜であった。北海道の神居古潭で中秋に逢うも、他日の思出の一であろう。雨戸を少しあけて見たら、月は....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
馬の背の上に、梅鉢の紋らしいのが見えるところによって見れば、これは、やはりこの街道の神様である加州家に縁《ちなみ》のある荷馬《にうま》であることも推測《おしはか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
《うめ》えか、尾州味噌がどのくらいからいか、それを噛みわけてみねえことにゃ、東海道の神様に申しわけがねえ」 特に東海道の神様という神様があろうとも思われないが....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
のは、返す返すも意外な事でした。 「あっ!」と言ったのは低能娘ではなく、三ツ目入道の神尾主膳で、その時、主膳は屈んでいた低能娘のために、自分の太腿《ふともも》を....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
二十三 武州大宮へ参拝した道庵先生は、それを初縁として、今後沿道の神社という神社には、少々は廻り道をしても参拝して行こうとの案を立てて、有無《....
源氏物語」より 著者:紫式部
家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、陰陽道の神のために方角がふさがり、尼君たちの住居のほうへは帰って行かれぬので、お亡れ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
天にます月読壮子幣はせむ今夜の長さ五百夜継ぎこそ」(巻六・九八五)、「たまぼこの道の神たち幣はせむあが念ふ君をなつかしみせよ」(巻十七・四〇〇九)等にもある如く....
わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
かしら見かけた思ひが誰しもの心に必ず起る顔であつたし、伏し目の忍従と清浄は日本婦道の神秘自体にも外ならない。四郎の顔はサンタ・マリヤに似てゐた。 金鍔次兵衛が....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
もののない桑畑となったけれど、その辺は有名な真影流の開祖、塚原卜伝の師、つまり剣道の神さまと称される上泉伊勢守が城代として住まった箕輪城の趾であったから、私の少....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
なかろうかと思われる。歌の道統が宮廷貴紳の間から外へ逸脱したときに、このような歌道の神聖化は生れたのであって、同時に、歌道が公家の手をはなれたというところに、公....
山の人生」より 著者:柳田国男
『東奥異聞』などには見えている。『今昔物語』以来の多くの実例では、ウブメに限らず道の神は女性で喜怒恩怨が一般に気紛れであった。或る者はこれに逢うて命を危くし、或....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
違いだと思いますが、広島市の空鞘八幡というお社の脇にある道祖神のほこら。道祖神は道の神また旅行の神で、その上に非常に子供のすきな神様でありました。昔は村中の子供....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
処に近く石を立てるものが多いので、在り所が幾分か散らばっている。 馬の頭を持つ道の神である故に、それを運送用馬の保護者の如く、考え始めたのも無理はないが、この....