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道後
「道後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
道後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
急に変ったじゃないか。これは、燧石みたいに硬い岩だ」 草津大尉の声のする方に、
道後少尉が、懐中電灯を照しつけてみると、なるほど、今までの赭茶けた泥土層は無くな....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
かわらずだんだん揺れ出して来た。とうとう高浜へつく手前から雨さえ降り出して来た。
道後温泉へは七、八年前ちょっと来たことがあった。あまり変わってもいなかった。しか....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
て発す。………倉次氏より、アイ衰弱の報あり。 十二日、朝アイ死去せり。 老妻は渡
道後は大に健康なりとて自ら畑に出で鍬を取り、蔬菜豆類を作り喰用の助けとして、一日....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
れはその山頂へも登って見た。尤もこの森に対した時は少し恐かった。この太山寺と共に
道後の温泉近くに石手寺《いしてじ》というのがある。これらは千年以上の建物があって....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
現在何処かというに、松山市に近い三津浜だろうという説が有力であったが、今はもっと
道後温泉に近い山寄りの地(御幸寺山附近)だろうということになっている。即ち現在は....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
て訂正の脚本原稿と相当に激励の手紙を添えてやると、それを受取ったのが沢田が何でも
道後あたりへ乗り込んでいた時ではなかったかと思う、その原稿と手紙を受取って見て沢....
「四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
う、ほっと安心する。 人のなさけにほごれて旅のつかれが一時に出た、ほろ酔きげんで
道後温泉にひたる、理髪したので一層のうのうする、緑平老のおせったいで、坊ちゃんと....
「芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
いる。安芸の宮島にも一面の算額あり、広島の鶴羽根神社にも現存のものがある。伊予の
道後の八幡宮には算額が多数に存在し、おそらく今日において、かくも多数に残ったとこ....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
拝殿や絵馬堂などに幾らも見られる。福岡の箱崎及び住吉、厳島の絵馬堂、備中の一宮、
道後の八幡、播州の尾上及び龍野、大阪の住吉、伏見の御香の宮、京都の祇園及び安井神....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
きつけるような声であった。やがてその人々は一同に笑い興じながら、練兵場を横切って
道後の温泉の方へ行ってしまった。 このバッターが正岡子規その人であった事が後に....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
いるという事である。 この三十年の帰省の時、私はしばしば漱石氏を訪問して一緒に
道後の温泉に行ったり、俳句を作ったりした。その頃
道後の鮒屋で初めて西洋料理を食わ....
「墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
の言葉を渋って、無理に東京で考えこんでいたのですが、偶然にも、父が休暇を取って、
道後の温泉へ行くことになったのです。
道後ならお前のからだにもいいしということにな....
「西航日録」より 著者:井上円了
てバンキポールに着し、さらに乗車して二十六日午前八時、ベナレスに着す。これ釈尊成
道後、はじめて法輪を転ぜられたる地と称す。着後ただちにロシア国博士マッチセン(M....
「望郷」より 著者:服部之総
くまでともにしたとき、思いついて私は一人一人の家系についてきいてみた。すると、渡
道後四代、初代は石川県人というのが二、三名いたが、何代になるかわからない、どこか....
「初夢」より 著者:正岡子規
のじゃけれ、もうもんて来るじゃあろ。」「それじゃアあたしも親類だけ廻って来よう。
道後《どうご》が奇麗になったそうなナア。」「そうヨ、去年は皇太子殿下がおいでにな....