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「道頓堀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

道頓堀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
放浪」より 著者:織田作之助
ていた。きょろきょろしながら活動写真の絵看板を見上げて歩いた。首筋が痛くなった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで交通巡査にきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
生れたんどっせ。さあ唄っておみやすな」 そして芸者は、テナモンヤナイカナイカ、道頓堀よ――と唄った。むろん豹一は唄わなかった。 一時間ほどして、ふらふらと赤....
世相」より 著者:織田作之助
浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界隈へ出掛けても、絢爛たる鈴蘭燈やシャンデリヤの灯や、華かなネオンの灯が眩....
間諜座事件」より 著者:海野十三
●第一景・プロローグ 喜多八 鴨川 布助 ●第二景・大阪|道頓堀 舞妓 歌島 定子 三条 健子 辰巳 鈴子 香川桃代 平河みね子....
蠅男」より 著者:海野十三
な面持で、帆村の後姿を無言のまま見送っていた。 秘密を知る麗人 その夜、道頓堀をブラついていた人があったら、その人は必ず、今どき珍らしい背広姿の酔漢を見....
南地心中」より 著者:泉鏡花
の橋の上から、淀川を控えて、城を見て――当人寝が足りない処へ、こう照つけられて、道頓堀から千日前、この辺の沸くり返る町の中を見物だから、茫となって、夢を見たよう....
大阪発見」より 著者:織田作之助
である。 東京にいた頃、私はしきりに法善寺横丁の「めをとぜんざい屋」を想った。道頓堀からの食傷通路と、千日前からの落語席通路の角に当っているところに「めをとぜ....
アド・バルーン」より 著者:織田作之助
来ていなくなり、私はふと心細い気がしたが、晩になると、浜子は新次と私を二つ井戸や道頓堀へ連れて行ってくれて、生れてはじめて夜店を見せてもらいました。 その時の....
」より 著者:織田作之助
に見えた。何か暗澹とした気持で、光を避けて引きかえしたが、また明るい通りに出た。道頓堀筋だった。大きなキャバレエーの前を通ると、いきなり、アジャーアジャーとわけ....
神経」より 著者:織田作之助
南というのは、大阪の人がよく「南へ行く」というその南のことで、心斎橋筋、戎橋筋、道頓堀、千日前界隈をひっくるめていう。 その南が一夜のうちに焼失してしまったこ....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
巻いて打っ放せば、ウアーンと唸り出すような力だ。 この力が千日前を、心斎橋を、道頓堀を、新世界を復興させたのだ。――と、しかし私はあわてているわけではない。な....
天衣無縫」より 著者:織田作之助
め考えて置いたのだろう、迷わずにすっと連れて行って下すったのは、冬の夜に適わしい道頓堀のかき舟で、酢がきやお雑炊や、フライまでいただいた。ときどき波が来て私たち....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
がこの物語の目的ではないが、わたしの知っているだけを簡短に紹介すれば、かれは大阪道頓堀の生まれで、三代目中村歌右衛門の養子となり、天保九年かれが九歳のときに養父....
」より 著者:織田作之助
こってしまうと、彼の放蕩は急に昇格して芸者遊びになり、そしてハイカラ振ってその頃道頓堀に出来た大阪名物カフェ美人座にもしげ/\と通った。家で泊ることも少く、そん....
俗臭」より 著者:織田作之助
て一夜を明かした時千恵造が発揮した人間味に就ては記述をさける。大阪に帰ると、彼は道頓堀や千日前のカフェーを飲み歩いた。肺が悪く、一度三合許りの血を吐いたが、翌日....