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遣唐使
「遣唐使〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
遣唐使の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
年|聖武天皇|奈良の御殿において百僧に茶を賜うと書物に見えている。茶の葉はたぶん
遣唐使によって輸入せられ、当時流行のたて方でたてられたものであろう。八〇一年には....
「旅愁」より 著者:横光利一
に入ったと云いたげに頷いた。
反対に退屈そうにしていた矢代は突然、
「むかしの
遣唐使のようにはいかんか。」
と笑って久慈を見た。
「
遣唐使だって君、あの時代....
「颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
の物語とかは果して颱風であったかどうか分らないから別として、日本書紀時代における
遣唐使がしばしば颱風のために苦しめられたのは事実であるらしい。斉明天皇の御代に二....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
皇女、後説に拠れば舒明の皇后ということになる。間人連老は孝徳天皇紀|白雉五年二月
遣唐使の判官に「間人連老」とあるその人であろう。次に作者は中皇命か間人連老か両説....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
怒り、断乎として抗議し、東畔の第一位に変更させた如きもその一例といってよかろう。
遣唐使派遣に終止符を打ったのは菅原道真であって、その航海の困難ということも理由の....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
てするの例が始まり文武天皇の御代大宝令の制定に至りて、初めて我が国号として、翌年
遣唐使の入唐に際し、これを彼に通告したという順序となるのである。 しかしながら....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
もので、間人姓を称えたものであったと見える。また日本書紀孝徳天皇白雉五年の条に、
遣唐使判官|中臣間人連老という名が見えていて、中臣氏の庶流にも間人姓のものがあっ....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
『論語』が我々にとって非常にありがたいものである。この『論語』は、奈良平安二朝の
遣唐使によって我が国に将来された古写本の系統に属する清家の証本にもとづき、これを....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
のである。もしそれを信ずるとすれば、薬師三尊よりは三十年近く早いが、しかし最初の
遣唐使より二十四五年ものちである。その四五年前には、法隆寺四天王の作者なる山口直....