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遷幸
「遷幸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
遷幸の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
を奪取する。又京都は二条の城及び内裏へも火を放ち、勿体至極もないことながら、帝の
遷幸を乞い奉れば公卿百官は草の如くに必ず伏し靡くに相違ござらぬ……」 こう云っ....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
れは何者か関東を滅す。という予言に相違ない。日西天ニ没スとあるは、帝隠岐島へ御|
遷幸ましまされた、この一事を指しておられるのであろう。三百七十余日とあるからには....
「法然行伝」より 著者:中里介山
御所の留守の女房連が、それにききほれて、遂に断りなく出家をしてしまった。後鳥羽院
遷幸の後、そのことを聴かれて、大に逆鱗《げきりん》あり、翌年二月九日住蓮、安楽を....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
もよく行き来した。しかしその子の信実は、鎌倉第一の画家といわれ、後鳥羽院が隠岐へ
遷幸の際、特にお姿を描かしめられたのはこの信実であった。歌の方でも出色の歌人だっ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
お声が洩れた。そして、 「かくなっては、かねて諜し合せていた通り御動座(天皇のお
遷幸)を仰ぐしかあるまい。その一策あるのみだ。……やみやみ、座して鎌倉の魔手を待....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
間同士の出合いでもなし別れでもない。 たった今、柳斎の右馬介から、自分だけは、
遷幸の途中にあたる中国路方面のけわしい情勢を聞きえている。 ひょっとしたら、道....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
にすぎず、次第に武家からも見離されよう。兆しはもうみえている。 反対に、吉野|
遷幸このかた、諸州にひそむ忠誠の士は、みな悲憤して起ちあがった。一個の浮沈にとど....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
れが読者のむねに何かの答えを持つならば歴史は今日に生かされたことになる。 隠岐
遷幸の道順は、増鏡や古典太平記にもかなり詳しいので現代からでもよくわかる。しかし....