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「遺子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

遺子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
するものはなかった。 まして、天野新一郎を疑う者などは、一人もない。 頼母の遺子の万之助もお八重も、新一郎を疑うところか、父なき後は、新一郎を唯一人の相談相....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
、紛糾混乱を重ねた黒死館殺人事件は、ついに最終の幕切れにおいて、紙谷伸子を算哲の遺子として露わすに至った。そうなると、勿論算哲の悶死は、伸子の|親殺しであり、|....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
たに違いない。 その当時の新聞記事によると、歌吉の母親は、対手《あいて》の男の遺子たちに向って、お前方も成長《おおき》くなるが、間違ってもこんな真似をしてはい....
明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
《かのうや》歌吉という、子まである年増《としま》芸妓と心中した商家の主人の二人の遺子が、その母と共に新橋に吉田屋という芸妓屋をはじめ、その後身が、益田《ますだ》....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
う》として、一二を争う智将であったことは疑うべくもない。 その高坂弾正に一人の遺子《わすれがたみ》がありました。幼名を甚太郎といい、後に甚内と改めたその人がす....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
敵でござる。貴殿に闘いを宣するしだい、ご用心あってしかるべく候。――桃ノ井久馬の遺子兵馬より、山県紋也殿へ」――そうして紋也から応じた文字といえば「心得て候」と....
地上」より 著者:島田清次郎
までも現在自分の甥であり、その昔、処女の一心に恋い慕っていた恋人大河俊太郎の忘れ遺子であろうとは知らなかったであろう。そして平一郎もまたこれらの事実には無知であ....
和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
いうことがあり、清水宗治は備中高松城で秀吉のために水攻めにせられ、切腹に際して、遺子への遺言状に算用を大切にしなければならぬことをいい、織田信長は天正七、八年頃....
我が円朝研究」より 著者:正岡容
を脅かして手引きをさせ、ついに落合の蛍狩の夜重信をも暗殺してしまった。然るのち、遺子《わすれがたみ》の真与太郎をも殺害せんとするので前非を悔いた正介はこの子を連....
レモンの花の咲く丘へ」より 著者:国枝史郎
者 不思議のことでござりますな。(と考える。この時、領主の一人息子にして、先妻の遺子たる公子の住する、高殿よりバイオリンの音聞こゆ) 領主 (耳をすまし)あれは....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
居の第二回から中村又五郎がはじめて出勤したように記憶している。又五郎は中村紫琴の遺子で、大阪では子役中の麒麟児と呼ばれ、鴈治郎ですらも彼に食われるとかいう噂であ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
界に徳望高い某子爵は素と八兵衛の使用人であって、先年物故した夫人はタシカ八兵衛の遺子であった。) 椿岳は晩年には世間離れした奇人で名を売ったが、若い時には相当....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
者として知らる。 ○十月、深川座にて黙阿弥作の「弁天小僧」を無断上演して、作者の遺子吉村いと女より告訴せらる。裁判所は坪内逍遥博士に鑑定を命じ、結局原告の勝訴と....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
右大臣の拝賀の式を行う夜更け、帰るさを別当|公暁のために弑せられた。公暁は頼家の遺子であるが、実朝は父の敵であるとそそのかされて決行したものの、それはまた将軍|....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
えによって皮細工を始め、それがエタの元祖となったのだというのである。今一本には、遺子の名を佐恵久仁とある。もとより荒唐不稽取るには足らぬが、彼らに細工人という名....