遺法[語句情報] »
遺法
「遺法〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
遺法の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
遷って、始て池田氏に更めたのである。正直の子が信之、信之の養子が正明で、皆曼公の
遺法を伝えていた。 然るに寛保二年に正明が病んでまさに歿せんとする時、その子|....
「S岬西洋婦人絞殺事件」より 著者:夢野久作
は一九〇四年の四月になっておりますし、刺青の手法は全然日本式で、しかも徳川時代の
遺法を墨守していた維新後二十年以内の図柄ですから、東作は兎にも角にも先代のロスコ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
えてその実を奪うの政策に出でたのだ。しかし、そこはさすがに徳川氏だ、少しも早雲の
遺法を崩《くず》さず、従来の仕来《しきた》りに従って、これを治めたのだ」 「天下....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
通公が藩の文武を奨励せられ、就中財政に意を致されたために、その後数代を経てもこの
遺法を遵守していたから、維新前後に藩費の増大し、殊に、十五万両の献金をさえ命ぜら....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
だ一人で幾山河をふみわたり、九万里をゆくおおとりの道程をつつがなく行く。わが家に
遺法があるか否かは知らぬが、好ましいことに逢うごとに弥陀を念ずるのである。) ....
「法然行伝」より 著者:中里介山
たしましょうか」 と尋ねた。法然答えて、 「一つの廟所《びょうしょ》と決めては
遺法が普《あまね》くわたらない。わしが遺蹟というところは国々至る処にある。念仏を....
「三国志」より 著者:吉川英治
頭の形を作り、これをその夜の供え物にした。 名づけて「饅頭」とよび慣わしてきた
遺法は、瀘水の犠牲より始まるもので、その案をなした最初のものは孔明であったという....
「三国志」より 著者:吉川英治
に略説する。しかし彼の死後なお三十年間も蜀が他国に侵されなかったのはひとえに彼の
遺法余徳が、死後もなお国を守っていたためであったといっても過言ではあるまい。 ....