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遺蹟
「遺蹟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
遺蹟の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
ラリアを従え、南アメリカに権力を得て、南北アメリカを支配するようになったのも彼の
遺蹟といわなければなりませぬ。
第二回
昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべ....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
ける太子の偉業は今日から見て実に世界大なものがある。 聖徳太子の日本美顕揚の御
遺蹟は現に大和法隆寺に不滅の光を放っている。太子は比類なき聡明な知性を持たせられ....
「火と氷のシャスタ山」より 著者:小島烏水
私たち富士山で、万年雪を物色したり、日本アルプスで、「カアル」の痕を、氷河時代の
遺蹟か否かと、論じ合ったりしている手合いに、いかに珍しかったろうか。 その氷河....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
ところも、また正にこれを証明しているのである。考古学者は我が国土に存在する遺物・
遺蹟を調査して、種々異りたる系統の民族の、かつて存在せし事実を認めている。土俗学....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
があって、竪穴や古墳が多く遺され、先年その古墳の一つから、奥羽地方縄紋式石器時代
遺蹟から多く発見せられる内反石刀に系統ありやに思わるる内反刀とともに、これも明ら....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
これはひとり奥羽地方ばかりではなく、古代において各地鹿の多かった事は、石器時代の
遺蹟に鹿角が多く包含せられて、猪牙の極めて少い事からでも想像せられ、記紀の記する....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
いても、それは偶然の暗合であって、名義はこれを他に求めねばならぬ。 自分は遺物
遺蹟の研究上、国栖人を以て、やはり隼人や、肥人や、出雲民族や、海部・土師部などと....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
ありと知られたる小倉中学校長文学士伊東尾四郎君は、わざわざその任地から来会され、
遺蹟報告者熊毛郡視学西原為吉君をはじめ、有志の人々六七名、また案内かたがたともに....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
に告白して、同君に敬意を表するものである。 豊後臼杵在深田村に、紫雲山満月寺の
遺蹟というのがある。山によった所で、かつては大きな寺院があったとみえて、今も彼方....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
しながら奥羽地方には、遠い遠い大昔に、歴史時代の蝦夷の先祖が遺したと思われる遺物
遺蹟が、沢山に存在しているのであります。チャシすなわち彼らの拠って敵を防いだ所と....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
吉君から言って来られた。これ幸いとさきに御厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方
遺蹟踏査の御相談に及ぶと、このころはまだ雪が深くてとても駄目だとのお返事だ。冗談....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ません。今も鎌倉あたりの墓穴(横穴)に住んでいるものもあります。近ごろ石器時代の
遺蹟として有名な、越中氷見郡海岸の洞窟には、毎度|山家が来て住むそうです。また現....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
いる。粛慎の石器使用の事は支那の史籍に著名の事ではあるが、自分は日本の石器時代の
遺蹟中に、或いは彼らの遺したものがあるのではないかと疑っているのである。勿論彼ら....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
るのである。また浄土宗の開祖法然上人の晩年に際して、弟子法蓮房が上人入滅後何処を
遺蹟とすべきやと問うたのに対して、上人の答えた語を「行状画図」に記して、「念仏を....
「春の大方山」より 著者:木暮理太郎
であり変化にも富み、そこは又曾て最も壮烈な史的悲劇の行われた舞台でもあるから、其
遺蹟を訪ねることは、一段と旅の興も加わることと思ったので、此方面から入ることにし....