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還俗
「還俗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
還俗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
よんどころなしにぶらぶらしているのよ」 彼は三十前後の蒼黒い男で、どうも破戒の
還俗僧《げんぞくそう》らしいと半七は鑑定した。彼は半七の相手になるのを避けるよう....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に巧くまるめ込まれて、とうとう寺を開いてしまって、十年ほど前から甲州の方へ行って
還俗していたんですが、故郷忘じ難しで江戸が恋しくなって、今度久し振りで出て来て、....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
自分はどうしようというのだ。僧形になっている身で、人を殺すことはできない。一旦、
還俗した後、僧形になっている敵を討ってめでたく帰参しようというのか。おめおめと敵....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
かへ連れ込みまして、お前がこの寺にいては思うように逢うことが出来ないから、いっそ
還俗するつもりで私と一緒に逃げてくれと云う。勿論、俊乗は得心いたしません。かれこ....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
ヴィゴラのナッケという尼僧だが、その女は宗教裁判の苛酷な審問の後で、転宗よりも、
還俗を望んだというのだからね」と云ってクルリと向きを変え、再び正視の姿勢に戻って....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
自分は禅僧となって富士善徳寺に住んで居った。氏輝に予が無かったので二十歳の義元を
還俗させて家督を譲った。今川次郎|大輔義元である。処が此時横槍を入れたのが義元の....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
しける程に、会昌年中に、唐の武宗、仏法を亡して、堂塔を毀ち僧尼を捕へて失ひ、或は
還俗せしめ給ふ乱に逢ひ給へり。大師をも捕へんとしけるほどに、逃げて或堂の内へ入り....
「古狢」より 著者:泉鏡花
、美佐古(鮨屋)はいかがです。」 「いや。」 「これは御挨拶。」 いきな坊主の
還俗したのでもないものが、こはだの鮨を売るんだから、ツンとして、愛想のないのに無....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
にして諸学に通じる名僧で、二人は非常に仲がよかったが、道三は坊主がイヤになって、
還俗し、女房をもらって、油の行商をはじめた。 辻に立ち、人を集めて、得意のオシ....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
歳の時に有為の才を認められ、当職が召出して藩主の命を伝えました。それは、「一代|
還俗仰付けらるゝに依り、儒学を修業すべし」というのでした。
還俗は医者を罷めること....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
とて今の場合じゃ。一時の方便にこの頭を剃り丸めたとて何があろう。時節が来れば再び
還俗するまでじゃ。」 敗軍の陣屋はひっそりと鎮まって、焚きさしの篝火の光りもこ....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
人でなく皆の者に対して説明しました。もっともその娘は、ある女のように坊主|騙して
還俗させてコケラの鮨でも売らしたいというような悪い考えでもなかったでしょう。
....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
を示し乍ら「恋女房とさし向いで、呉服を商うのもまた風雅ではないか」としきりに彼に
還俗をすすめた。けれども慧鶴は承知しなかった。 それから間もなく国元から使が来....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
て、吉野へ落ちられた後は、薨去まで約五十年、全く流離困乏の御生活であった。この間
還俗されて宗良の御俗名を用いられ、伊勢・遠江・越後・越中等におられたが、おもには....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
、 歟。 とある。僧の犯罪については「大宝僧尼令」にその規定があって、まずこれを
還俗せしめて後に処刑する事になっていたが、濫僧に至っては同じく法師であるとは云え....