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「那古〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

那古の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
国語音韻の変遷」より 著者:橋本進吉
、方言にはセをすべてsheと発音するものもある。この音を写した種々の万葉仮名の支那古代音もtsで初まるものや、chで初まるものや、sで初まるもの、shで初まるも....
こころ」より 著者:夏目漱石
。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦《とみうら》に行きました。富浦からまた那古《なこ》に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重《おも》に学生の集まる所....
草枕」より 著者:夏目漱石
いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵《こよい》の宿は那古井《なこい》の温泉場《おんせんば》だ。 ただ、物は見様《みよう》でどうでも....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
ものと思わなけりゃならんよ。だいたい、いつぞやのケンネル殺人事件――あれでは、支那古代陶器が単なる装飾物にすぎなかった。ところが今度は、算哲博士が死蔵している、....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
幼名吉法師を改めた三郎信長は、直に父の跡を継いで上総介と号した。 信秀の法事が那古野は万松寺に営まれた時の事である。重臣始めきらびやかに居並んで居る処に、信長....
縮図」より 著者:徳田秋声
ちが微禄して、本所のさる裏町の長屋に逼塞していた時分、ようよう十二か三で、安房の那古に売られ、そこで下地ッ児として踊りや三味線を仕込まれ、それが彼女の生涯の運命....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
炭問屋の主人がまずこう言って尋ねると、お角がそれに答えて、 「はい、木更津から那古《なこ》の観音様へ参詣を致し、ことによったら館山《たてやま》まで参ろうと思う....
世界新秩序の原理」より 著者:西田幾多郎
定するものであろう。 今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道という如きものでもない。各国家民族が自己を越えて一つの世界的世界....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
げで 五百|雪駄《せった》の音がする チーカロンドン、ツァン 正木《まさき》千石那古《なこ》九石 那古の山から鬼が出て 鰹《かつお》の刺身で飲みたがる チーカロ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
のと、すれちがいになった時、茂太郎は、 小旦那どんが どこへ出るにも 羽織きて那古北条《なこほうじょう》は いいとうりだのんし これは他国者でも少しはわか....
『尚書』の高等批評」より 著者:白鳥庫吉
の説に序を逐うて答ふるも、一法なるべけれど、堯舜禹の事蹟に關する大體論を敍し、支那古傳説を批判せば、林氏に答ふるに於いて敢へて敬意を失することなからん。こゝには....
丹下左膳」より 著者:林不忘
。 富田岬をかわして、安房《あわ》の勝山、走水《はしりみず》。 観音崎から、那古、舟形《ふながた》。 三崎……城ヶ島。 このあたりのたびたびの通り雨、両....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
の乗った、淀屋の持ち船八幡丸も、この航路から行くことにした。海上風波の難もなく、那古の港まで来た時であったが、一人の武士が乗船した。 本来八幡丸は貨物船で、客....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
出来たときで、その舞台びらきの二番目に「日高川」が出て、福助の清姫に対して彼は真那古庄司と船頭とを勤めていた。「日高川」の船頭などはやはり彼の専売であった。 ....
向嶋」より 著者:永井荷風
に今なお残存している石碑の文字を見る時|鵬斎米庵《ほうさいべいあん》らが書風の支那古今の名家に比して遜色《そんしょく》なきが如くなるに反して、東京市中に立てる銅....