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那智
「那智〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
那智の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
った。 日本艦隊の加古、古鷹、衣笠以下の七千|噸巡洋艦隊は、その快速を利用し、
那智、羽黒、足柄、高雄以下の一万噸巡洋艦隊と、並行の単縦陣型を作って、刻々に敵艦....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
居る処、秦始皇に体のよい謀叛した徐福が移住して来た処、謀叛僧|文覚が荒行をやった
那智の大瀑が永久に漲り落つ処、雄才覇気まかり違えば宗家の天下を一もぎにしかねまじ....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
公園にもある、されど最も憾むべきはお濠の中なるがあとなくなったことだ。 滝あみ
那智、華厳、養老、不動なんど、銀河倒懸三千尺の雄大なるは見難きも、水に親しむ夏に....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
で居ないかと敵の行方を探しながら、三十三番の札所を巡ります。先一番始まりが紀州の
那智、次に二番が同国紀三井寺、三番が同じく粉川寺、四番が和泉の槙の尾寺、五番が河....
「蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
二十歳には未だ足りない美しい女と、十四五の稚児髷に結うた伴の少女とであった。女は
那智へ往っての帰りだと云った。豊雄は女の美に打たれて借りて来た傘を貸してやった。....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
真言と三宗を転々、いずれも秘奥をきわめて仏教に絶望したという。文覚以来絶えてない
那智の荒行をやって、十幾たび気を失い、天下に名をとどろかした怪僧であった。彼は世....
「俊寛」より 著者:倉田百三
た願の一つとして成就しなかったのはありません。 成経 しかしここは紀州ではなし、
那智の滝もないではありませんか。 康頼 神はどこにでもいられます。わしがあの奥深....
「火の扉」より 著者:岸田国士
た。 「奥さんの知つてる大きいたきつていうと、なんだね?」 「あたしは、華厳も、
那智も知つてるわ。トムちやんだつて、華厳は覚えてるでしよう?」 「あゝ、これの十....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
して、以前は同様の行事があったが、其は、彼岸の中日にすることになっていた。紀伊の
那智郡では唯おともと謂う……。こうある。 何の訣とも知らず、社日や、彼岸には、女....
「わが童心」より 著者:佐藤垢石
のだ。私は、市川猿之助の舞踊劇『黒塚』に心酔して、これを三、四回観たのであるが、
那智から巡りきた行脚の僧の看経の功徳により、安達ヶ原の鬼女は悪夢から覚めたように....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
は、死んだ釣友の佐藤惣之助と老俳優の上山草人と行を共にしたのである。 私らは、
那智山に詣でた。
那智の滝の上の東側の丸い山を掩う新緑は、眼ざめるばかり鮮やかであ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
行には団菊の顔あわせがほんとうの久しぶりで実現されることになった。その一番目は「
那智滝祈誓文覚」で、団十郎の遠藤盛遠、菊五郎の渡辺|亘、芝翫の袈裟御前。中幕は「....
「遍路」より 著者:斎藤茂吉
那智には勝浦から馬車に乗って行った。昇り口のところに著いたときに豪雨が降って来た....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
くなる命かな うき身こそいとひながらも哀れなれ月をながめて年を経にける 雲消ゆる
那智の高根に月たけて光を貫ける滝のしら糸 老境の歌、 年たけてまた越ゆべしと思ひ....
「仏法僧鳥」より 著者:斎藤茂吉
浦にて追い付きたりという句境にも遠いので、其処に夕がたまでいてO先生と別れ三人は
那智の方に行く汽船に乗ったのであった。 それから丸一年が過ぎた。私等は去年やっ....