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郎等
「郎等〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
郎等の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吉原新話」より 著者:泉鏡花
の底で声が出る。 (さて……どれもどれも好ましい。やあ、天井、屋の棟にのさばる和
郎等! どれが望みじゃ。やいの、) と心持仰向くと、不意に何と……がらがら、ど....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
から現われて、不意に、家康の旗本へ切りかかった。為に旗本大いに崩れ立ち、清水久三
郎等家康の馬前に立ち塞がり、五六人斬り伏せたので、漸く事無きを得た。 之れは後....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
熊本に来て合した。熊本の城下に於てさえ、向背の議論が生ずる有様で、ついに池辺吉十
郎等千余人、薩軍に馳せ参ずることになった。 私学校の変に次いで、西郷|起つとの....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
ものの直ちに引返して、手勢わずか八十をもって三の柵際に来り、前田利家、野々村三十
郎等の鉄砲組の備えを追散らして居た。勇将の下弱卒なしである。が、敵は近寄らずに、....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
は猿ヶ馬場に床几を置かせ、腰打かけて指揮を執って居た。さて、安井左近大夫、原彦次
郎等もようよう引退いて、盛政と一手になったので、盛政少し力を得て、清水谷の峠へ退....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
、四千人。左備は津田与三郎、志水嘉兵衛など三千五百人。右備は伊勢与三郎、藤田伝五
郎等二千人である。中央軍の第二陣は、松田太郎左衛門で、その後に光秀旗本五千余騎を....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
った。 で、僕は、以前から一月には雑誌を出そうと約束していた近藤憲二、和田久太
郎等のほかに、近藤栄蔵(別名伊井敬)高津正道等と一緒に、週刊『労働運動』を創めた....
「恐竜島」より 著者:海野十三
ビットは崖の上の岩のかげからそれらのようすをすっかりカメラに収めていたのだ。玉太
郎等三人が山肌《やまはだ》の小径《こみち》をころがるように谷の方へおりてゆく様子....
「備前天一坊」より 著者:江見水蔭
大事の密議じゃで。遠慮は入らぬ。近う」 「へえ」 「その方の宿泊人に、小笠原金三
郎等の一行があろう」 「へえ、三人お泊りに御座りまする」 「恐れ多くも、御当主の....
「平家蟹」より 著者:岡本綺堂
望みて、玉虫は起って奥に入り、雨月も木かげに身をひそむ。平家蟹もすべて消ゆ。与五
郎等は門に来たりて、内をうかがう。) 与五郎 はて、不思議や。家の内は真の闇じゃ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
り。エミシは即ちこれなるべし。 すなわち氏はアイヌの古語において勇敢なる武士・
郎等のことをエムシと言いたりとせらるるなり。もし果してかくのごときことあらんには....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
事にも、人間の浅い智慧では想像や判断の付かぬことは幾許も有る。況て※やお杉や重太
郎等の関係に至っては、尋常一様の理屈を以て推断することは能まい。 これで何百年....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
となったものの少からぬことを容易に認めるであろう。駆使丁の賤者が一朝にして乗馬の
郎等となり、野宿・山宿・河原者の徒が武技を練磨して武士になったのも多かろう。官兵....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
負わせたものの称で、多くは他国からの浮浪民の土着者である。右の乙石・吉兵衛・助三
郎等は、祖父或いは曾祖父の時代に他から流れて来て、このエタ村に住みついたものであ....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
色男として採用せられたものもあろう。或いはいわゆる兵家の保護を受けて、その家の子
郎等の徒となったものもあろう。しかしながらその多数は、いわゆる河原の者・坂の者・....