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郡上
「郡上〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
郡上の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「黄村先生言行録」より 著者:太宰治
とかいう人、石川博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の
郡上《ぐじょう》郡に八幡《はちまん》というところがありまして、その八幡が、まあ、....
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
ら、どうかして金が取りたいと思って、あんなへまな事をしました。わたしは泉州|生田
郡上野原村の吉兵衛と云うものの伜で、名は虎蔵と云います。酒井様へ小使に住み込む時....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
門が藩主に代わって書面を総督府にたてまつり慶喜に組した罪を陳謝したとか、加納藩、
郡上藩、高富藩、また同様であるとか、そんなうわさが毎日のように半蔵の耳を打った。....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
で鶏を作り祀りしを、後には宝として蔵する風があったらしい。十一年前、余、紀州日高
郡上山路村で聞いたは、近村竜神村大字竜神は、古来温泉で著名だが、上に述べた阿波の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
と、若いものの声が闇の中から聞えた、ところは辻ヶ森。 それからまたややしばし、
郡上街道《ぐじょうかいどう》の真只中にその姿を見せたと思うまもなく、三本松の夜明....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
れは今の二科に出て居る絵です。 十月三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県下高井
郡上林温泉せきや方より(地獄谷の写真の絵はがき)〕 十月三日。一日に仕事が終ら....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
いまだに怨みは忘れられませんて」 「おやおやそんな事がございましたかな。五年前の
郡上様といえば、名与力として謳われたものだ。その貴郎の手に余ったといえば、いよい....
「わが童心」より 著者:佐藤垢石
白川狐」の物語を、麦田打つ手を休めて、語ってくれた。父は、前橋市宗甫分、昔の勢多
郡上川向村大字宗甫分から、利根川の小相木の船橋を渡って、私の家へ養子に来たのであ....
「甲州郡内妖怪事件取り調べ報告」より 著者:井上円了
と決心せり。(未完) かくて予は、去月二十五日早朝東京を発し、その夕甲州北都留
郡上野原村に着して、その夜はここに一泊し、あらかじめ期しおきたるごとく、中村藤太....
「越中劍岳先登記」より 著者:柴崎芳太郎
達せねばならぬ訳であります、そこで七月十二日私は最も勇気ある 測夫 静岡県|榛原
郡上川根村 生田信(二二) 人夫 上新川郡大山村 山口久右衛門(三四) 人....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
われる。 牛蒡種の起原は一つだと伝えられているらしい。住君の報告によると、吉城
郡上宝村を本場として、国府村や袖川村にも多少はあるが、それは上宝村から移住したり....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
に万治の頃に田地を有するものの存在した事が明らかである。万治元年十月三日附の名西
郡上山村棟附の中に、 高一石二斗九升七合 間人 一家 忠左衛門 三十八....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
に伝わり、同情を得て取り返すことができた。その後|薙髪して素伝といい、多く小田荘
郡上城にいた。文明三年宗祇に『古今集』の註解について口伝をした。これが古今伝授の....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
も仇討に出立せんければならぬが、手に入った品々は重役に預けて置き、私は一度濃州の
郡上へ立越えます心得である」 重助「左様でございますか、それに重三や昨夜仙太郎親....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
人数百姓・町人へ奉公したが為に、それぞれ処罰せられた事が見えている。また丹波何鹿
郡上林庄殿村のエタの娘きちも百姓家へ奉公に世話していたのである。京都市内散在のエ....