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「郡部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

郡部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新生」より 著者:島崎藤村
五十五 間もなく岸本は節子からの便《たよ》りを受取った。彼女は郡部にある片田舎《かたいなか》の方へ行ったことを知らせてよこした。 「到頭節ちゃ....
婦系図」より 著者:泉鏡花
新聞に書いたのは(AB横町。)と云う標題で、西の草深のはずれ、浅間に寄った、もう郡部になろうとするとある小路を、近頃|渾名してAB横町と称える。すでに阿部|郡で....
縮図」より 著者:徳田秋声
いいところへ来た。田舎から大きな蟹が届いたんだ。」 栗栖は福井の産まれで、父も郡部で開業しており、山や田地もあって、裕福な村医なのだが、その先代の昔は緒方洪庵....
駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
値を歌ってるものもある。我々は既に市内を駆逐され或は将に駆逐されんとしているが、郡部でも電車の便利に浴する地には段々住えなくなりそうだ。或る人が来て、景色の好い....
都会地図の膨脹」より 著者:佐左木俊郎
であった。 「この地図の上で、煉瓦色に塗られてある部分は、市街から続いて来ている郡部の町で、この緑色の部分は、田舎なのです。即ち私達の村がこの緑色の部分なのであ....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
七十八歳になるただ一人、祖母ばかり。大塚の場末の――俥がその辻まで来ると、もう郡部だといって必ず賃銀の増加を強請る――馬方の通る町筋を、奥へ引込んだ格子戸わき....
大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
で焼け、り災した児童の数が十四万八千四百人に上っています。そのうちの四割は地方や郡部にうつったものと見て、あと八万九千の人たちは、十一月にもとのところにかり校舎....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
分の資《たす》けになった。間もなく大区を合して区域を広められた際、私は松山以外の郡部の学事をも担当することになったが、これまでに例のない小学校というものを創設す....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
規則の下に服さねばならんといった訳であった。もし不賛成者があれば、市内から離れて郡部へ行かねばならんというのである。その組合の規約が随分不条理なもので圧制的であ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
はなかなかの名狆であるのだが、戸川家も世が世で微禄され、御隠居も東京を引き上げ、郡部へ引っ込むについて狆を田舎まで伴れて行くのも大儀|故、何処か好い貰い手があれ....
ムツェンスク郡のマクベス夫人」より 著者:神西清
マイロフの店といえば、われわれの町でもまず中どころで、極上のメリケン粉を商ない、郡部にある大きな製粉所を一つ賃貸しにしてその手に握り、なおその上に郊外にはなかな....
年賀郵便」より 著者:岡本綺堂
は、あるまじき事になっていたのであるから、総ての回礼者は下町から山の手、あるいは郡部にかけて、知人の戸別訪問をしなければならない。市内電車が初めて開通したのは明....
二階から」より 著者:岡本綺堂
僅か二週間を私の家に送ったおたけは、こんな思い出を残して去った。 Sさん。郡部の方もだんだん開けて来るようですね。御宅の御近所も春は定めてお賑かいことでし....
思い出草」より 著者:岡本綺堂
、所々に小さな池や溝川のようなものもあって、釣などをしている人も見えた。今日では郡部へ行っても、こんな風情は容易に見られまい。 蝉や蜻蛉も沢山にいた。蝙蝠の飛....
十日の菊」より 著者:永井荷風
はく下駄《げた》は大抵|籐表《とうおもて》の駒下駄《こさげた》か知ら。後がへって郡部の赤土が附着《くっつ》いていないといけまいね。鼻緒《はたお》のゆるんでいると....