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郡長
「郡長〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
郡長の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
案を作ってやった。受持教員はそれを読んで仰天《ぎょうてん》した。そしてそれが当日
郡長や、孵化場長《ふかじょうちょう》や、郡農会の会長やの列座の前で読み上げられた....
「藁草履」より 著者:島崎藤村
く。源も馬を競馬場の溜《たまり》へ繋いで置いて、御仮屋の北側へ廻って拝見すると、
郡長、郡書記なども「フロック・コォト」の折目正しく、特別席へ来て腰を掛ける。双眼....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
。いよいよ御巡幸の御道筋も定まって見ると、馬籠駅御昼食とのことである。西|筑摩の
郡長、郡書記も出張して来て、行在所となるべき家は馬籠では旧本陣青山方と指定された....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
忙わしく、続いて簡易な試験が始まり、それがすむと、卒業証書|授与式が行なわれた。
郡長は卓の前に立って、卒業生のために祝辞を述べたが、その中には軍国多事のことが縷....
「平凡」より 著者:二葉亭四迷
くなって、もう余り小狐へも足踏《あしぶみ》せぬ中《うち》に、伯父さんが去る地方の
郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私も終《つい》に雪江さんの事を忘....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
らは誰れも知っているから私が説くまでもない。また土居藪鶯氏は、氏の郷里の宇和島の
郡長となり、それを罷めて、同地の電気会社の社長となって熱心に努力していたが、惜い....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
元明天皇、和銅三年春二月、藤原宮から寧楽宮に御遷りになった時、御輿を長屋原(山辺
郡長屋)にとどめ、藤原京の方を望みたもうた。その時の歌であるが作者の名を明記して....
「鹿狩り」より 著者:国木田独歩
上流の人たちであった。 第一中根の叔父が銀行の頭取、そのほかに判事さんもいた、
郡長さんもいた、狭い土地であるからかねてこれらの人々の交際は親密であるだけ、今人....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
時ばかりではない。山水といえども同じことである。 郷里の上ノ山の小学校には時々
郡長が参観に来た。江嘉氏であったとおもうが鹿児島出身の老翁で、英吉利軍艦に談判に....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
った。初めに空札一枚読むのに用いる歌をめいめい工夫して来たものだ。鈴木秀一という
郡長の令嬢の秋子さんというのも常連の中にいた。この
郡長は学校の式の時の最高官吏で....
「こんにゃく売り」より 著者:徳永直
見ないで通訳をした。 学芸大会では拍手|喝采だった。各小学校の校長先生たちや、
郡長さん始め、県の役人なども沢山いるところで、私たちは非常に面目をほどこしてから....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
石城山には延喜式内|石城神社がある。今は郷社の社格であるので、郡視学たる西原君は
郡長に代り奉幣使として当神社祭典の際に参向した。当山にはかねて山姥の穴として知ら....
「棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
? お母さんもお変りはないかなぞと父母も珍しがって歓待に努めました。長らく県下の
郡長なぞを勤めていた、お父さんはもう五、六年も前に世を去っていると聞いて驚きまし....
「大力物語」より 著者:菊池寛
にも似合わず、その姿形は、ねり糸のようにしなやかであった。そして、その郡の大領(
郡長)の奥さんであった。あるとき、主人の
郡長のために、麻の布を織って、それを着物....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
ついでに久しくお目にかからぬ紫水生深沢多市君をもお訪ねしたい。同君は昨年丹後熊野
郡長を辞してこの仙北の地に帰臥せられ、お好きの道とて郷里の故事を調査せられ、現に....