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部領
「部領〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
部領の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「観画談」より 著者:幸田露伴
陽の山路や暁風の草径をあるき廻ったのである。 秋は早い奥州の或|山間、何でも南
部領とかで、大街道とは二日路も三日路も横へ折れ込んだ途方もない僻村の或寺を心ざし....
「三人の相馬大作」より 著者:直木三十五
じまするが、相馬大作なる者は、三人も御座りまして、何れが本物やら――いろいろと南
部領にて、取調べますと、判らないところが御座ります。白沢の駅で大銃《おおづつ》を....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。自分はすべて仙台領とばかり信じて、ここまで来ているのだが、川一つ向うは、もう南
部領にでもなっているのではないか。仙台領と南
部領とは、かなり入組んでいると聞いた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しょう、拙者ならば、旅には慣れているし、手形も持っている――ここまで来た以上は南
部領へも足を踏み入れてみたい希望もある。この船の休養と修理の間を、拙者は右の通り....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
八八〕 山上憶良 肥後国|益城郡に大伴君熊凝という者がいた。天平三年六月、相撲
部領使某の従者として京へ上る途中、安芸国佐伯郡|高庭駅で病死した。行年十八であっ....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
台領においては前記の如く、獅子頭に鹿角を附したものをかぶる例になっているが、旧南
部領の獅子は短き双角を附した獅子頭をかぶり、別に長さ数尺に及ぶ細き割竹に、櫛歯形....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
何故でしょうか。 陸中の大部分は岩手県に属します。大きな地域を有つ県で、昔は南
部領でありました。更に溯れば藤原一門の文化が栄えた所で、有名な平泉の「金色堂」は....
「鬼」より 著者:吉川英治
そ侍の働き効いというものだった。 与右衛門は勇躍して、主水を追跡した。そして南
部領へ落ちて行こうとする彼を、出羽街道の碇ヶ|関の山中で見つけ、 (君命であるぞ....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
ゴ・ウナイゴにたとえたものがなく、全体に老人|殊に老女に見立てた名が多い。旧|南
部領にはウバガシラとウバシラガというのと二つあって、姥白髪の方が印象は深いが、私....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
るといって、その文言の一部までも報告して来た。ワカは仙台領以北でオカミといい、南
部領ではモリコともまたイタコともいう巫女のことであるが、関東以南のイチコ・梓神子....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
った時代には、やはりこのオノリを注いだものと思う。同じ習慣は東北地方、ことに旧南
部領の盆の墓祭りの時にもある。やはり多くの他の食物とともに、この白色の粉を解いた....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
れて一ぺん考えて見たいものである。青森県のままごと方言は色々あるが、だいたいに南
部領はオフルメヤコ、津軽領はオヒルマイコまたはジサイコナコというのがひろい。ジサ....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
政九年十二月には、東寄りの方にも本村に接して出村を設け、天保十四年十一月には、天
部領小稲荷の地を年二十一石の年貢で天部村から租借し、建家の承諾を得てここにも発展....