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「郷党〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

郷党の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
非凡なる凡人」より 著者:国木田独歩
もの》で、僕らといっしょにずいぶん荒《あば》れたものである。それで学校においても郷党《きょうとう》にあっても、とくに人から注目せられる少年ではなかった。 けれ....
雛妓」より 著者:岡本かの子
来た。 父は大家の若旦那に生れついて、家の跡取りとなり、何の苦労もないうちに、郷党の銀行にただ名前を貸しといただけで、その銀行の破綻の責を一家に引受け、預金者....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
刺激によることも、その家出の原因の一つであったであろう。弓夫は何もかも早かった。郷党に先んじて文明開化の空気を呼吸することも早かった。年若な訓導として東京の小学....
富貴発跡司志」より 著者:田中貢太郎
一人の知己もありません、家には無論蓄積がありませんから、妻や児までが軽蔑します、郷党郷党で、交際をしてくれません、私は他に訴える所がありません、大神は富貴の案....
申陽洞記」より 著者:田中貢太郎
二十五、剛胆な生れで、馬に騎り、弓を射るのが得意であったが生産を事としないので、郷党の排斥を受けて、何人も相手になってくれる者がない。しかたなしに父の友達で桂州....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
それが適齢になって兵役に出で、満洲守備に行き、帰って結婚してもう四人の子女の父、郷党のちゃきちゃきです。I君が担うて来てくれたは、白米一斗、それは自家の飯米を分....
小翠」より 著者:田中貢太郎
という子供を生んだが、ひどい馬鹿で、十六になっても男女の道を知らなかった。そこで郷党では王と縁組する者がなかった。王はそれを憂えていた。ちょうどその時、一人の女....
河霧」より 著者:国木田独歩
上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。 『大いなる事業』ちょう言葉の宮....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
一要素である如く考えるところから、基督教に殉ずるためには信者はじつに世間を狭く、郷党や知友との反目も余儀なくさせられたものがあったのである。 井口氏を初めとし....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
ったのが私の耳に残っている。私が二十四の時、この先生の謝恩会が企てられた。何しろ郷党の先輩も皆この先生の手塩にかかっているので、大勢あつまった。私が謝恩の詞を書....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
、豊艶なるわが国の風景が、人々を純情に育てきたったのであろう。さらにそこへ一つ、郷党の親愛こまやかなる情合いをも、素因として加えたい。 この美しき国土を愛すれ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
子となり、美術学校卒業後今日に及んでいる。 米原雲海氏が島根出身という処から、郷党に感化を及ぼしたのであろうか。島根県からは二、三の人が出ている。加藤景雲君、....
茶の本」より 著者:岡倉由三郎
たやすく郷党に容れられ、広く同胞に理解されるには、兄の性行に狷介味があまりに多かった。画....
放免考」より 著者:喜田貞吉
中には帰るに処なきものも少くはなかろう。帰ったとても一旦罪囚であったものとして、郷党家族に容れられないものも多かった事であろう。さらに中には自ら旧好に顔を合す事....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
く国家の生産能力が事を決定する。国防献金ももはや問題とならない(但し恤兵事業等は郷党の心からなる寄附金による事が望ましい)。 資産家特に成金を寄附金の強制から....