郷村[語句情報] » 郷村

「郷村〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

郷村の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
事もいわれませんので控えている。すると其の翌年|寛政《かんせい》十年となり、大生郷村の天神様から左《ひだ》りに曲ると法恩寺《ほうおんじ》村という、其の法恩寺の境....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
くはあるがみごとな筆で、寿平次の言うとおりを写し取った。 相州三浦、横須賀在、公郷村 山上七郎左衛門 「寿平次さん。」と半蔵はさらに言葉をつづ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
声が起こった。村の名を呼ばれた人足たちは問屋場の前に出て行った。そこには栄吉が助郷村々の人名簿をひろげて、それに照らし合わせては一人一人百姓の名を呼んでいた。 ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ることになった。諸藩の旅行者たりとも皆|相対賃銭を払って人馬を使用すべきこと、助郷村民の苦痛とする刎銭なるものも廃されて、賃銭はすべて一様に割り渡すべきこと、そ....
河沙魚」より 著者:林芙美子
口へ出る往来|添《ぞ》いの広場に、石材が山のように積んである。千葉県北葛飾郡八木郷村村有石材置場と云う大きい新しい木札《きふだ》が立てられた。千穂子は腰かけたな....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
ら岡谷へ抜け、高島の城下を故意と避け、山伝いに湖東村を通り、北山村から玉川村、本郷村から阿弥陀ヶ嶽、もうこの辺は八ヶ嶽で、裾野がずっと開けていた。 三日を費や....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前に呼びつけて、郷村の百姓共をば、 「死なぬように、生きぬようにと合点《がてん》いたし、収納申付....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前へ呼びつけて、郷村の百姓共をば、「死なぬように、生きぬようにと合点《がてん》いたし、収納申し付....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
当る城下の町は通行の旅客に依て利益を得ようとするので多く一筋町になっている。また郷村へ行ってわざわざ蜿《うね》ったように道の附いている街道もある。これは附近の村....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
広瀬の河曲に祭らしめたということが書紀に現れております。その祭った場所は大和国三郷村立野の龍田神社と大和国河合村の広瀬神社でありますが、決してヒダの地で祭ったの....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
面白い観物《みもの》。あすは名主さまの家で『写し絵』があるということになると、近郷村一帯、だれも仕事に手がつかない。七八里もあるところから、村じゅう総出で、提灯....
岩魚」より 著者:佐藤垢石
た。遺書に、水戸の東湖塾へ行くと記してあるのみであった。二、三年前に利根の対岸宮郷村の豪農から嫁たみを貰い、昨秋長男の裕八郎が出生してから、まだ半歳とたっていな....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
館林在の茂林寺に、この分福茶釜が鎮座ましますのであるが、詳しくいうと上州邑楽郡六郷村字堀江青龍山茂林寺であって、開祖は正通和尚であるという。正通和尚の出身地は分....
葛飾土産」より 著者:永井荷風
立寄って見ると、正面に「葛羅之井《かつらのい》。」側面に「文化九年壬申三月建、本郷村中世話人惣四郎」と勒《ろく》されていた。そしてその文字は楷書であるが何となく....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
称を継いでいるのでありましょう。「余部」という名は、奈良朝頃の地誌や、平安朝頃の郷村名を書いたものによく出ておりまして、全国各地にあったのであります。今も諸国に....