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「都入り〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

都入りの前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
に癇癖荒気の大将というので、月卿雲客も怖れかつ諂諛して、あたかも古の木曾|義仲の都入りに出逢ったようなさまであった。それだのに植通はその信長に対して、立ったまま....
十二支考」より 著者:南方熊楠
験上の知識を持ち居る例多い。お江戸日本橋七つ立ち、初《はつ》上りの途に著いてから都入りまで五十三駅の名を作り入れた唄を、われら学生の時唄いながら箱根山を下駄穿《....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
山の関の清水を立ち出でて、足はこうして京洛の地に向いているけれども、さて、今度の都入り、誰を当てに、ドコへ落ちつこうという目的があるではないのだ。田中新兵衛から....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
乗換えて、別々に上方行きということになったんだが、おいらは弁信さん、お前と一緒に都入りをしようとは思わなかったよ」 「はい」 何を言っても、はいはいだから、米....
死者の書」より 著者:折口信夫
とかで、せめて一ところだけは、と強いてとり毀たないとか申します。何分、帥の殿のお都入りまでは、何としても、此儘で置くので御座りましょう。さように、人が申し聞けま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の主君、長崎殿自身であったのかもしれない。 むかし、木曾殿の兵が、平家に代って都入りしたときも、都の女は、影をひそめたそうである。その木曾義仲ほどではなくても....
私本太平記」より 著者:吉川英治
義仲)がそうでしたろ。頼朝公に質子を求められ、巴御前との仲の一子を鎌倉へ送って、都入りを果たされた」 「…………」 高氏は守時の唇もとを見まもった。見ているだ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ホ笑ましくお聞きあるのか、御簾のあたりのお叱りもない。そして鶏鳴早くも、いよいよ都入りのおしたくに忙しかった。 還幸の途々は、伯耆いらい、ここまでも、たいへん....
私本太平記」より 著者:吉川英治
また宇治川が、攻守決戦の境になる。 壬申ノ乱の大海人の皇子軍。木曾義仲の寿永の都入り。承久ノ乱の北条勢と朝廷|方。 そしてまいど、守備のほうが、そのたび破ら....
私本太平記」より 著者:吉川英治
さらさら、ご懸念なく、瀬戸内、山陽、山陰の軍路に大捷をおさめられて、やがて曠れの都入りの日を、鶴首、お待ち申しあげております……とも、手紙の末尾には、書きそえて....
私本太平記」より 著者:吉川英治
見堂を立ち、いよいよ、都へむかって進発していた。直義とは、山崎でおちあった。――都入りのこまかな軍議をとげたのである。――そのうえで、直義らの洛中攻めは、二十九....
私本太平記」より 著者:吉川英治
|道の平和らしさが流れていた。尊氏の母堂やら妻子|眷属が、丹波から迎えとられて、都入りしていたのであった。 年は明けた。 北朝の、建武四年 南朝では、延元....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
む川合玉堂翁が、いつもの諧謔に富む即興を示された。「新・平家物語」の上でも義仲の都入りを見つつあるから、それで吉川さんも都へ上るのか、といったような意味の狂歌を....