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都府
「都府〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
都府の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「身投げ救助業」より 著者:菊池寛
の比例が江戸や大阪などに比べて小であったとは思われない。 明治になって、槇村京
都府知事が疏水《そすい》工事を起して、琵琶湖の水を京に引いてきた。この工事は京都....
「初めて見たる小樽」より 著者:石川啄木
か面倒である。かつ今予はそんな必要を感じないのだから、手取早くただ男らしい活動の
都府とだけ呼ぶ。この活動の
都府の道路は人もいうごとく日本一の悪道路である。善悪に....
「画学校時代」より 著者:上村松園
十三年の年に小学校を卒業し、翌年十四歳の春、京
都府立画学校へ入学しました。 明治二十一年のことでありますから、女が絵の学校へ....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
十余年前翰墨の間、 洛東相会送春還 洛東相会して春の還るを送る。 今日復逢
都府北 今日復た逢ふ
都府の北、 画楼秋影似東山 画楼の秋影東山に似たり。....
「人造物語」より 著者:海野十三
には、宮津電話として次のような記事が載っていた。 「ロボット流行時代であるが、京
都府宮津中学校の四年生岡山大助君という少年が今度、人造犬を発明した、これは犬の腹....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
府立画学校に入る 十三、四の頃でした。今の京都ホテルのある場所に、京
都府立画学校が設けられてありましたので、早速そこに入りました。初めは、花鳥を習い....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
催されたが、まず私ども京都画壇では京都中の出品をその前年の明治二十二年十二月に京
都府庁内で府庁の手によって展覧に供され、やがてそれを一まとめにして東京に荷送りし....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
育、学識を進むるにありて、決して宗教を変ずるにあらざるなり。 米国ソルトレーク
都府には、モルモン宗の本寺あり。その礼拝堂は、一万五千人をいるるべしという。当時....
「西航日録」より 著者:井上円了
ポンド(わが二万五千円)に上るという。一村これがために富み、かつにぎわい、やや一
都府のごとき盛況あり。この地をさること二、三マイルにして、上流にはイルクレー町あ....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
世界に、どうしてこのような小|倫敦があると思えよう。) シドニー市は豪州最古の
都府にして、キャプテン・クックが一七八八年に、シドニー湾上にはじめて植民を開きし....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
ない。 「だって、列車がないから仕方がないじゃないか! 」と言うと、 「では『京
都府庁に打合せのことあり』としてくれ、そうすれば旅費を支出する」と答える。 「よ....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
の両教授のような進歩的学者、作家では芥川龍之介、久保田万太郎の両氏、あるいは現京
都府知事の蜷川虎三氏などがいる。 三中に入学した年の秋、学芸会があり、雄弁大会....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
あるが、それは余りに多きに過ぎる様に思われる。) さらにこれを近く十二年間の京
都府下だけの異動について見るに、明治四十年の調査では三万三千二百九十一人であった....
「特殊部落と細民部落・密集部落」より 著者:喜田貞吉
」によって「富めるもの多し」と呼ばれた天部部落の如き、明治四十年に於いて当時の京
都府事務官補大森吉五郎氏の調査によるに、維新前にはなお富有者が多く、衣食に窮する....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
足を散所法師と云ったのと同じく、もと僧形をなしていたものらしい。明治三十二年に京
都府へ出した「小法師由緒書」には、 元僧侶にして、往古御遷都(奈良より京都への御....