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鄰
「鄰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鄰の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
のあることを、あの詩全体から発見するに至りました。 あれは申すまでもなく、盧照
鄰《ろしょうりん》の「長安古意」の長詩の中の一句でありますが、何の意味となく誦し....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
もしてもらう。 老子の最後から二章目の終りに、甘其食、美其衣、安其居、楽其俗、
鄰国相望、鶏犬声相聞、民至老死不相往来という、その理想の消極的無政府の社会が描か....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
が、……」 僕は曹達水の中にウイスキイを入れ、黙って一口ずつ飲みはじめた。僕の
鄰には新聞記者らしい三十前後の男が二人何か小声に話していた。のみならず仏蘭西語を....
「芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
其日庵と称して、宗匠であった。日光清瀧にその俳諧の碑が建てられている。 川北朝
鄰は内田五観門人として、関流宗統の算家であったが、俳諧においては馬場氏の伝を受け....
「和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
人物も独自の研究を止めて、数学講議録の発行等に全力を集中するようになった。川北朝
鄰、岡本|則録《のりぶみ》、遠藤利貞、関口|開《ひらく》などという面々もやはり同....
「数学史の研究に就きて」より 著者:三上義夫
まとなり、その後、上州の和算の大家萩原禎助翁を聘してことにあたらしめ、また川北朝
鄰翁の如きも算書を提供したことがあった。しかもこの頃にはさまでその事業は進まなか....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
ったのである。幕末の頃になってもその事情に変わりはない。現に近年物故した川北|朝
鄰《ともちか》翁のごときもそんなことをいっていられた。ある藩では武芸を尊んで数学....
「鐘の声」より 著者:永井荷風
のみならず家屋を揺り動すこともある。季節と共に風の向も変って、春から夏になると、
鄰近処《となりきんじょ》の家の戸や窓があけ放されるので、東南から吹いて来る風につ....
「十九の秋」より 著者:永井荷風
近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家《ほうか》も善
鄰の誼《よ》しみを訂《さだ》めている遑《いとま》がなくなったようである。かつてわ....
「寺じまの記」より 著者:永井荷風
席があって、浪花節語《なにわぶしかた》りの名を染めた幟が二、三流立っている。その
鄰りに常夜燈と書いた灯《あかり》を両側に立て連ね、斜に路地の奥深く、南無妙法蓮華....
「十日の菊」より 著者:永井荷風
躍しない。」 宮川の二階へ上って、裏窓の障子《しょうじ》を開けると雪のつもった
鄰の植木屋の庭が見える一室に坐るが否や、わたしは縷々《るる》として制作の苦心を語....
「深川の散歩」より 著者:永井荷風
大久保の屋敷跡。何故湯灌場大久保と言うのか。それは長慶寺の湯灌場と大久保の屋敷と
鄰接している所から起った名である。露地《ろじ》を入って右側の五軒長屋の二軒目、そ....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
ち疏んぜらる。 であるが、しかしこの語はすぐ前にある孔子の語、「徳孤ならず、必ず
鄰あり」を反駁した形になっている。何か由ありげである。ただ一つの例外がこういう状....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
力団……。」とすみ子は声を低くした。 五 梅雨《つゆ》があけて暑中になると、近
鄰の家の戸障子が一斉に明け放されるせいでもあるか、他の時節には聞えなかった物音が....