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配流
「配流〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
配流の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
行跡の数々があったために、その所領十七万石を没収されて、出羽《でわ》の由利矢島に
配流された事実は、つい最近のことだったからです。 「ふうん、そうでござりましたか....
「運命」より 著者:幸田露伴
せられて、門生等まで、方氏の族として罪なわれ、坐死する者およそ八百七十三人、遠謫
配流さるゝもの数う可からず。孝孺は終に聚宝門外に磔殺せられぬ。孝孺|慨然、絶命の....
「雷峯塔物語」より 著者:田中貢太郎
で盗賊の嫌疑は晴れたが、素性の判らない者から私に金をもらったというかどで、蘇州へ
配流せられることになった。 一方邵大尉の方では、約束の通り懸賞金五十両を出して....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
というのは、代々百姓をしているが、先祖は、福島正則《ふくしままさのり》が川中島へ
配流《はいる》された時の一族だということで、今日は塩市をあての買物を兼ねて十余人....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
命惜しけど、為むすべのたどきを知らに」(巻十七・三九六二)等である。 麻続王が
配流されたという記録は、書紀には因幡とあり、常陸風土記には行方郡板来村としてあり....
「蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
盗賊の嫌疑は晴れたが、素性の判らない者から、私に金をもらったと云うかどで、蘇州へ
配流せられることになった。 一方邵大尉の方では、約束の通り懸賞金五十両を出して....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
由比ヶ浜から船に乗せて伊豆の伊東に流した。これが彼の第二の法難であった。 この
配流は日蓮の信仰を内面的に強靭にした。彼はあわただしい法戦の間に、昼夜唱題し得る....
「俊寛」より 著者:倉田百三
して、あなただけをこの島に残すというはずがないではないか。わしらは同じ罪に座して
配流されたのだから。 俊寛 もしあったとしたら。 成経 わしはも一度くり返してあ....
「環礁」より 著者:中島敦
目の朝、船はようやくT島に着いた。この航路の終点でもあり、ナポレオン少年の新しい
配流地でもある。堡礁内の浅い緑色の水、真白い砂と丈高い椰子樹の遠望、汽船目懸けて....
「法然行伝」より 著者:中里介山
このことを配所にあって聞いた法然の心の中推し計るばかりであった。 法然が、
配流のこと遠近に聞えたうちに、武蔵国の住人津戸三郎為守は深くこれを歎いて、武蔵の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
この十二月二十四日には、鎌倉表の評定で、後醍醐のご処分を、 隠岐ノ島へ と、
配流の決定をみていたのであり、それの御裁可を仰ぐ手続きが、もう極密裡に、後伏見院....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、密々この地方の宮方結盟を計っていた。 また、この春には、 「先帝は隠岐へ、ご
配流ときまった」 と、聞えてから、笠置、赤坂の残党も海をこえて、この地方へ入り....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
押されて、ついに流罪のほかなくなったものだった。 ところが。 いよいよ道誉が
配流されて行く日を見れば、その行装など、日ごろの物見遊山とも変るところはなく、従....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
東方の野に兆し初めている。たとえば伊豆にある頼朝の成人です。また同じ伊豆へことし
配流された僧文覚です。――さらにここにまた鞍馬の遮那王(牛若)が、じっとしていら....
「柳生月影抄」より 著者:吉川英治
の加藤忠広を始め、駿河大納言家にいたるまで、仮借なく剔抉し、藩地を召上げ、正則も
配流、忠広も流罪、大納言家も、今、御幽閉させて、上意を待たるるお身の上だ。……そ....