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醍
「醍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
醍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道祖問答」より 著者:芥川竜之介
は無戒の比丘《びく》じゃが、既に三観三諦即一心《さんかんさんたいそくいつしん》の
醍醐味《だいごみ》を味得《みとく》した。よって、和泉式部《いずみしきぶ》も、道命....
「惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
その境界がいかに尊く難有きものであるかを幽かながらも窺うことが出来た。そしてその
醍醐味の前後にはその境に到り得ない生活の連続がある。その関係を私はこれから朧ろげ....
「爬虫館事件」より 著者:海野十三
、しかもだ)と帆村はパジャマの釦を一つ一つ外しながら思った。この手でも確かに目は
醍る。…… 「十分間お待ちねがうように申上げて呉れ」 「はッ。畏まりました」 ....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
れた。『大乗院寺社雑事記』文明三年の条に、 「此一両年日尊と号して|十方成之。御
醍醐院之御末也云々」とあるが、朝敵として幕軍の為めに討たれて居るのである。其の後....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
ても建武中興が、如何にして崩壊したかを説かねばならない。 元弘三年六月五日、後
醍醐天皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和|長年以下....
「辞書」より 著者:折口信夫
からもっている努力のあらわれということはいえる。 歌ことば 倭名鈔は、
醍醐天皇の第四皇女|勤子内親王の仰せによって、源を覚えることと考えていた。書き方....
「映画と民族性」より 著者:伊丹万作
中頼朝の坐像の美しさは比類がない。また、室町期以降の多くの武将の坐像、あるいは後
醍醐天皇の坐像の安定した美しさなど、所詮椅子に腰掛けている人種のうかがい知るべき....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
た短歌から見ると、江戸の俳句の行きあしは遥かに進んで居る。 而も俳句がさびを芸の
醍醐味とし、人生に「ほっとした」味を寂しく哄笑して居る外なかった間に、短歌は自覚....
「反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
氏の勢力に押され、そうした運動の無謀さが省みられ、凡情熱の磨滅せられ出した宇多・
醍醐の帝の時代を書こうと言う、漠とした予期があったのである。此は、紫式部の時代よ....
「「太平洋漏水孔」漂流記」より 著者:小栗虫太郎
いた、“Prau”にのって……かれは絶海をゆく扁舟の旅にでた。そして、海洋冒険の
醍醐味をさんざん味わったのち、ついに九月二日の夜フインシャハに戻ってきた。――話....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
、此比は天下にいさぎよく、むべむべしき人に思はれたる比なれば、此の事更に御門(後
醍醐天皇の御事)の知ろし召されぬよしなど、けざやかに言ひなすに、荒き夷どもの心に....
「世界の「料理王逝く」ということから」より 著者:北大路魯山人
。 翁は外国にあって――わけても英・独・米等の地に永く留まって、フランス料理の
醍醐味を遍からしめたので、『美食の大使』とも呼ばれていた。 ロンドンのサボイ・....
「娘」より 著者:岡本かの子
の家の遠縁に当り、嘗て彼女をスカールへ導き、彼女に水上選手権を得させ、スポーツの
醍醐味も水の上の法悦も、共に味わせて呉れた男だった。 親切で厳しく、大事な勝負....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
翌文治三年七十歳のときで、しばらく京の近くにいて、それから河内の弘川寺に入った。
醍醐の末寺で古義真言宗の寺である。 願はくば花のもとにて春死なむその二月の望月の....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
りません。恐れ多いことではありますが、私どもは歴史を読んで、隠岐に遷され給うた後
醍醐天皇にも同情し奉る。しかあるべからざるものが、世間の不条理なる差別待遇から、....